☓2結婚カウンセラーの思考録

2度の結婚・離婚、子育てを経たからこそ見えてきたさまざまな物事を綴ります

多様性を認めることの大切さ☆

最近、

いろいろ…と、思うところがあり、、




先日みたドラマ『民衆の敵』の、

男友達の子を体外受精して娘を授かった 
女性記者を演じる 
石田ゆり子さんの台詞


「今までは、言っても
わかってもらえないと思って隠していました」


「でも、それでは世間は変わらないんです!
この世の中にはもっと、
色んな生き方があって良いと思うんです」


「家族のカタチは1つじゃないと思うんです」


「その多様性が認められれば

人はもっと、自由になれます。

世の中はもっと、幸せになると思うんです!」



との言葉に、
とてもとても共感しましたし、



これからの世界のために、

とっても重要な内容だと感じました。





さまざまな、

 …一般的にはネガティブに捉えられる物事でも、

もっともっと、みんなが。

オープンにしていくことで、

世の中の認識を変えていくことになり、



ひいては

世界が平和になっていくことに繋がると

私は思っています。





下記、
一昨年末ごろに記したもので、
テーマが 全く違ってはいますが、。
シェアします。





☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆


相模原市の障害者福祉施設

元従業員による殺傷事件。

植松聖容疑者について、

私なりに思ったことがあります。



誤解のないように、先に申し上げますが、

彼がやった事は、

到底許されることではなく、

厳しく罰せられて当然ですし、


本当に痛ましい事件であり、

ご遺族や関係の方々には、

心より、

哀悼ならびにお見舞いの意を表します。



しかしながら、

以下、ご批判を承知の上で記しますが…



植松容疑者がこの事件を引き起こした経緯を、

私が知るところの障害者や

その家族の現状と重ね合わせて考えてみると、


全く理解できない、
自己都合だけを主張するような、

悪人だとは 思えないのです。



実際、教育実習先の子ども達からは
優しい良い先生、という評価もあり、


そのエピソードが、

マスコミなどの報道に寄ってしまうと

あたかも虚偽の、偽善の、
造られた姿、であるかの様に

イメージされていると感じますが、


私は、
彼は、根っこは。。

とても優しくて思いやりに溢れる、
賢さも兼ね備えた、
善人だと 思います。


それなのに、
ドコカから、
おかしな方向に思考の舵をきってしまい、

両親をはじめとする
周りのサポートも無かったために


間違った方向にばかり、

どんどん彼の中で

極端な考えが暴走してしまった結果の、
事件だと。

考えています。



容疑者は、

「障害者は不幸を生むだけ。

だから居ないほうが世のためなのだ」

という思考に基づいて


言わば、

“ 世直し ” のために

自分が、ひと肌脱ごう、


その為に捕まったとしても、

この件を機に、世の中に訴え、
考えてもらうキッカケにして、

状況が変わっていくことを、
目的にしていたようです。


その考え方には、一理あると、私は思います。



と 言いますのは、、


これまでに私の周りで見聞きしてきた、
障害者のご家族の現実があります。




脳性麻痺により、
下半身不随で車椅子生活の男の子のご家族の話…

そのお母さまが話されていた事なのですが、


男の子には健常者の姉がおり、

たまに会うだけの私から見ても

弟の介助などを
当たり前のように甲斐甲斐しくする、

小学生ですが、とてもしっかり者の、
よく出来たお嬢さんです。


「環境が、人を育てるのね〜」

と、私は感心していました。


そのお姉さんが、ある時、

「どうしてウチには(弟)がいるの?
(弟)が居るせいで、みんながタイヘン!
(弟)が居ない方がずっと、みんな、幸せだったのに〜!」

と、いつに無く 大声で泣きわめいたそうです。


そう話すお母さまも、

涙、涙… で止まらず、

ずっと抑えてきた感情があふれ出た
という感じでした。



障害者の家族にとっては当り前の日常でも、

周りの そうではない人々の目には
特異に見えて、


とくに

小学生くらいの子どもだと、

無邪気に遊び半分でからかわれたり、、

ということが

日常茶飯事だったかも知れないと
想像がつきますし、


「どうして私だけ…」

との思いが湧くのも、当然とも思えますし、

さらに、
同級生や友達にも、

なかなか弱みを見せられない、 
いつも気丈に振る舞わざるを得なかったのでは…

というところも、

想像にかたくありません。




それに、長女であるし、
弟には人の何倍も手がかかるので、

必然的に

お姉さんは両親に甘えたくても

常に我慢を強いられ、
幼い頃からの欲求不満が積み重なっていた…




ずっと そうした、辛い気持ちを

両親にも、
誰にも言うことができずに


ひとり葛藤していた、


小さな心を痛めていた、

お姉さんの心中を思うと…… (´;ω;`)ブワッ




他の例では、

だいぶ前のお知り合いの方で、
当時、もうすぐ中年にさしかかるくらいの女性。



その方には兄弟や親戚に
障害者が複数いらして、


「私は絶対に結婚は出来ないの。
子どもに障害が出る可能性が高いから。
それはもう、若い時から決めていたの」

と、

頑なに おっしゃっていた姿が、

印象的に、

ずっと、 私の記憶にあります。




“ キレイゴト ”

では、

済まされない、現実が、、

あるのです。。。




植松容疑者は、
施設で働く中で
障害者の方のお世話をし、

そのご家族とのやり取りや、
時にはプライベートな会話を共にしたり、

その本音を、
見聞きする機会が 多くあったと思われます。



知人が多くはなく、狭い世界にいる私でさえ、
ちょっと関わった方の現状を知っただけでも
あれこれ深く考えさせられたので、


容疑者は なおさら、

そうした、

問題意識を増幅させていったと考えられるのです。





ご批判を覚悟の上で 申しますが、


それは、
思いやりからの、

彼の “ 正義感 “ なのです。


障害者がいなくなれば、
周りの人がラクになれる…という。。



障害者の方が
家族にいるか居ないかで、

ひとの人生は大きく違ってしまう。




もちろん、

ご家族にとっては
かけがえの無い、
大切な家族の一員であることは
言うまでもないですし、



障害者が身近にいることで、

居なければ 出来なかった体験や学び、
人との出会い、大きな喜びもたくさん、
あることでしょう。



でも。



はじめから望んで
障害者を家族に持とうとは、

きっと誰も

思わないのでは ないでしょうか。




出来れば、
しなくて良い苦労は避けたいし、


もし、

どちらか選べると言われれば
健常者を希望すると思います。



昨今の出生前診断なども
そうした一例ですね。







そうした
キレイゴトでは片付かない、

その現実を。




まずは

当事者である障害者と
そのご家族が認め、オープンにしていただき、



次に

世の中の多くの方が、

まずは知り、
真正面から 受け止めて、



その上で

そうしたご家族や障害者の方と、



どう上手く、

共存して行けるか、
助け合って暮らせるのか、

ということを、



話し合っていく必要があると
私は思います。






「障害者の子は
健常者よりも純粋でカワイイ」

などとよく聞きますが、

それは確かに 事実ではありますが、、



ご家族が自己肯定するために
そうやってイイコトだけを並べ立てて


本音の、

辛い部分を圧し殺して
上辺だけ、取り繕っていても、

どこかで 無理が出てきて



上記のお姉さんのように

いつか爆発するかも 知れない…。







何にでも言えることですが、

問題点を、

見て見ぬふり、

クサイものには蓋、

という考え方はやめて、




根本的なところから、

世の中の皆で 意識を共有して、

ひとつひとつ、改革していかないと、



世の中は いつまでも、

何も、変わるはずがありません。。






話がずれますが、
ひとつ前に記したブログに則って考えると、

植松容疑者も、


極端に物事を考えてしまう、

思い込みが激しい、

教員を目指しているのに入墨をしている、

考え方が、ドコかズレている…


という特徴から、



発達障害がある人かも知れない、とも、
私なりに思ったところでもあります。




ご家族との関わりなど、
まだいろいろと思うところがありますが、、

長くなりましたので、
次の機会にいたします。




ここまで読んでいただいた方、
お疲れさまでした。

ご精読、誠にありがとうございました ☆