☓2結婚カウンセラーの思考録

2度の結婚・離婚、子育てを経たからこそ見えてきたさまざまな物事を綴ります

多様性を認めることの大切さ☆

最近、

いろいろ…と、思うところがあり、、




先日みたドラマ『民衆の敵』の、

男友達の子を体外受精して娘を授かった 
女性記者を演じる 
石田ゆり子さんの台詞


「今までは、言っても
わかってもらえないと思って隠していました」


「でも、それでは世間は変わらないんです!
この世の中にはもっと、
色んな生き方があって良いと思うんです」


「家族のカタチは1つじゃないと思うんです」


「その多様性が認められれば

人はもっと、自由になれます。

世の中はもっと、幸せになると思うんです!」



との言葉に、
とてもとても共感しましたし、



これからの世界のために、

とっても重要な内容だと感じました。





さまざまな、

 …一般的にはネガティブに捉えられる物事でも、

もっともっと、みんなが。

オープンにしていくことで、

世の中の認識を変えていくことになり、



ひいては

世界が平和になっていくことに繋がると

私は思っています。





下記、
一昨年末ごろに記したもので、
テーマが 全く違ってはいますが、。
シェアします。





☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆


相模原市の障害者福祉施設

元従業員による殺傷事件。

植松聖容疑者について、

私なりに思ったことがあります。



誤解のないように、先に申し上げますが、

彼がやった事は、

到底許されることではなく、

厳しく罰せられて当然ですし、


本当に痛ましい事件であり、

ご遺族や関係の方々には、

心より、

哀悼ならびにお見舞いの意を表します。



しかしながら、

以下、ご批判を承知の上で記しますが…



植松容疑者がこの事件を引き起こした経緯を、

私が知るところの障害者や

その家族の現状と重ね合わせて考えてみると、


全く理解できない、
自己都合だけを主張するような、

悪人だとは 思えないのです。



実際、教育実習先の子ども達からは
優しい良い先生、という評価もあり、


そのエピソードが、

マスコミなどの報道に寄ってしまうと

あたかも虚偽の、偽善の、
造られた姿、であるかの様に

イメージされていると感じますが、


私は、
彼は、根っこは。。

とても優しくて思いやりに溢れる、
賢さも兼ね備えた、
善人だと 思います。


それなのに、
ドコカから、
おかしな方向に思考の舵をきってしまい、

両親をはじめとする
周りのサポートも無かったために


間違った方向にばかり、

どんどん彼の中で

極端な考えが暴走してしまった結果の、
事件だと。

考えています。



容疑者は、

「障害者は不幸を生むだけ。

だから居ないほうが世のためなのだ」

という思考に基づいて


言わば、

“ 世直し ” のために

自分が、ひと肌脱ごう、


その為に捕まったとしても、

この件を機に、世の中に訴え、
考えてもらうキッカケにして、

状況が変わっていくことを、
目的にしていたようです。


その考え方には、一理あると、私は思います。



と 言いますのは、、


これまでに私の周りで見聞きしてきた、
障害者のご家族の現実があります。




脳性麻痺により、
下半身不随で車椅子生活の男の子のご家族の話…

そのお母さまが話されていた事なのですが、


男の子には健常者の姉がおり、

たまに会うだけの私から見ても

弟の介助などを
当たり前のように甲斐甲斐しくする、

小学生ですが、とてもしっかり者の、
よく出来たお嬢さんです。


「環境が、人を育てるのね〜」

と、私は感心していました。


そのお姉さんが、ある時、

「どうしてウチには(弟)がいるの?
(弟)が居るせいで、みんながタイヘン!
(弟)が居ない方がずっと、みんな、幸せだったのに〜!」

と、いつに無く 大声で泣きわめいたそうです。


そう話すお母さまも、

涙、涙… で止まらず、

ずっと抑えてきた感情があふれ出た
という感じでした。



障害者の家族にとっては当り前の日常でも、

周りの そうではない人々の目には
特異に見えて、


とくに

小学生くらいの子どもだと、

無邪気に遊び半分でからかわれたり、、

ということが

日常茶飯事だったかも知れないと
想像がつきますし、


「どうして私だけ…」

との思いが湧くのも、当然とも思えますし、

さらに、
同級生や友達にも、

なかなか弱みを見せられない、 
いつも気丈に振る舞わざるを得なかったのでは…

というところも、

想像にかたくありません。




それに、長女であるし、
弟には人の何倍も手がかかるので、

必然的に

お姉さんは両親に甘えたくても

常に我慢を強いられ、
幼い頃からの欲求不満が積み重なっていた…




ずっと そうした、辛い気持ちを

両親にも、
誰にも言うことができずに


ひとり葛藤していた、


小さな心を痛めていた、

お姉さんの心中を思うと…… (´;ω;`)ブワッ




他の例では、

だいぶ前のお知り合いの方で、
当時、もうすぐ中年にさしかかるくらいの女性。



その方には兄弟や親戚に
障害者が複数いらして、


「私は絶対に結婚は出来ないの。
子どもに障害が出る可能性が高いから。
それはもう、若い時から決めていたの」

と、

頑なに おっしゃっていた姿が、

印象的に、

ずっと、 私の記憶にあります。




“ キレイゴト ”

では、

済まされない、現実が、、

あるのです。。。




植松容疑者は、
施設で働く中で
障害者の方のお世話をし、

そのご家族とのやり取りや、
時にはプライベートな会話を共にしたり、

その本音を、
見聞きする機会が 多くあったと思われます。



知人が多くはなく、狭い世界にいる私でさえ、
ちょっと関わった方の現状を知っただけでも
あれこれ深く考えさせられたので、


容疑者は なおさら、

そうした、

問題意識を増幅させていったと考えられるのです。





ご批判を覚悟の上で 申しますが、


それは、
思いやりからの、

彼の “ 正義感 “ なのです。


障害者がいなくなれば、
周りの人がラクになれる…という。。



障害者の方が
家族にいるか居ないかで、

ひとの人生は大きく違ってしまう。




もちろん、

ご家族にとっては
かけがえの無い、
大切な家族の一員であることは
言うまでもないですし、



障害者が身近にいることで、

居なければ 出来なかった体験や学び、
人との出会い、大きな喜びもたくさん、
あることでしょう。



でも。



はじめから望んで
障害者を家族に持とうとは、

きっと誰も

思わないのでは ないでしょうか。




出来れば、
しなくて良い苦労は避けたいし、


もし、

どちらか選べると言われれば
健常者を希望すると思います。



昨今の出生前診断なども
そうした一例ですね。







そうした
キレイゴトでは片付かない、

その現実を。




まずは

当事者である障害者と
そのご家族が認め、オープンにしていただき、



次に

世の中の多くの方が、

まずは知り、
真正面から 受け止めて、



その上で

そうしたご家族や障害者の方と、



どう上手く、

共存して行けるか、
助け合って暮らせるのか、

ということを、



話し合っていく必要があると
私は思います。






「障害者の子は
健常者よりも純粋でカワイイ」

などとよく聞きますが、

それは確かに 事実ではありますが、、



ご家族が自己肯定するために
そうやってイイコトだけを並べ立てて


本音の、

辛い部分を圧し殺して
上辺だけ、取り繕っていても、

どこかで 無理が出てきて



上記のお姉さんのように

いつか爆発するかも 知れない…。







何にでも言えることですが、

問題点を、

見て見ぬふり、

クサイものには蓋、

という考え方はやめて、




根本的なところから、

世の中の皆で 意識を共有して、

ひとつひとつ、改革していかないと、



世の中は いつまでも、

何も、変わるはずがありません。。






話がずれますが、
ひとつ前に記したブログに則って考えると、

植松容疑者も、


極端に物事を考えてしまう、

思い込みが激しい、

教員を目指しているのに入墨をしている、

考え方が、ドコかズレている…


という特徴から、



発達障害がある人かも知れない、とも、
私なりに思ったところでもあります。




ご家族との関わりなど、
まだいろいろと思うところがありますが、、

長くなりましたので、
次の機会にいたします。




ここまで読んでいただいた方、
お疲れさまでした。

ご精読、誠にありがとうございました ☆

『明日の約束』

2017-12-19 22:03:39


今日が最終回のドラマ
『明日の約束』を観ました。


日向の母親は、私の母と同じタイプで似ていましたので、
所々で私の記憶と重なり、

でも、イマイチ、、
現実味が無いような感じもしました。


しばらく忘れていたけれど
ドラマがきっかけで思い出した事の一つが、

日向が風邪をひいたときに
母親が優しく看病してくれたというところで、


私が小学一年生の頃に風邪で学校を休んだ日、
母はカップラーメンと
ポットにお湯を入れてテーブルに置いて出勤しました。

私一人きりでガラーンとした家で寝ていると
とても心細くて、
母の会社に(当時は携帯電話など無いので)
泣きながら電話をすると、
会社の人が心配してくださって
早退して帰ってきた記憶があります。



今にして思えば、
その日のその事だけのことではなく、
日常的に母親の愛情を感じられなかった為、
体調を崩して弱っていたこともあり、
一気に、
幼い私のココロが悲鳴をあげた、
一件だったと思います。


保育園の先生からの誕生日のメッセージに、
『まきちゃんは我慢強くて、泣き顔をみせませんね』
とあったことも、思い出しました。


そこから関連で諸々と…

 
私は1歳前から保育園でしたが、
そのことについて、

「子供なんてウルサイし
ずっと一緒に居るなんて面倒だしマッピラだから預けてた」
と、さも当然の事のように軽く言い、

私が離婚してやむなく娘を保育園に入れる時にも
娘の前で
平気で、むしろ楽しそうに
そう言ったこともありました。



その後、中学生の時に
私は十二指腸潰瘍を患いましたが、
具合が悪くなったり元気をなくしていると、

「アンタ、ひ弱で可哀想なフリして
同情を買うんじゃないよ!」


また、
私は元々、あまりたくさん食べられないのですが、その事を、

「アンタね、
『ワタシは少食でお淑やかなんです〜』
とか、可愛いコぶるんじゃないよ!」と、

私にとっては全くトンチンカンで、
更々、 そんな気は無いにも関わらず、。


テレビを見ていて、
政治や社会についての率直な意見を言えば、

「アンタ、
どこかの誰かが言ったことを聞いてきて、
さも、自分の考えみたいに
偉そうに言うんじゃないよ!」

… もちろん、
私自身がその時に思ったことなのに。。



コレ、
日向の母親も同じ台詞、ありましたね。


「な~に~?!
スクールカウンセラーだとか、
“ 偉そうに! ” 」



日向の
「あの人は外面が良いから」
という台詞、
私も、
折にふれて色んな人に言ってきました。


でも、
決まって返ってくるのは、

「お母さんのこと、そんな風に言っちゃダメよ〜」

「反抗期の中学生じゃないんだからさ。」

「親は無条件に有難いものだよ。
ここまで育ててもらったんでしょう?」

といった、
私自身、に、問題が アル。。
という 反応。



日向も、彼にキレられていましたね。
「親のことを悪く言うな!」 と。



1人、同じように母親と折り合いが悪く、
私の話をわかってもらえたと思えた友人も
結局は、

我が家(実家)に泊まりに来た時に、
私の母と直に接すると、
「聞いていた話と違って、良いお母さんじゃない〜!
マキのこと心配してるし優しい人だよ〜!」

と、やはり、
私自身が、 コドモ、と言う感じに。。





他にも、
付き合う友達について
しつこく干渉するところ、

私の主張する事には一切耳を貸さないところ、

自分の非を絶対に認めないところ、

盗聴ではないですが、
気が付くと
よく部屋を覗き見ていて
監視されているようなところ、、


このドラマには
私の、そんな記憶がよみがえる要素が
沢山ありました。




よく、
“ 子どもを持つと親の気持ちがわかる ”
と言いますが。


私の場合、
娘をもち、子育てする中で、
母に共感 どころか、


“ こんなに可愛い、
純粋に母親を信頼し無償の愛情をいっぱいくれる、
こんな素晴らしい、天使のような我が子に。


ド ウ シ テ 、、。

あんな事が言えたのか?
あんな事ができたのか?
あんなに冷たく突き放せたのか???? ”


とてもとてもとても、理解に苦しみますし、


そんな、娘との暮らしの中、
私の子どもの時と同じような状況がある度に、
母の 心無い対応を思い出し、 


なんで?あの人は…!! と、


子どもの時には感覚が麻痺していて?
感じていませんでしたが、

今の私にとっては

“ 憎悪 ” の感情が
高まるばかりです。




「もっともっと辛く、
大変な人は世の中に大〜勢いるヨ」

ご両親を亡くしている友人からは、
「私はもう、親が居ないんだよ?」

など、、

それは、そうですし。
何も、
私が世界一不幸だとか、
思っているわけでは ありません。


正常な、
親としての愛情を持つ親の元で
ココロ穏やかに幸せに育ってきた、
その人から見たら、

私が未熟で甘ったれていると映るのも、

根本的なものが 全て違っているので

仕方がない事なのかも、しれませんが。


「こんな親を持つくらいなら生まれて来たくなかった」
「なんで私は生まれたんだろう」
「こんな親なら居ないほうがシアワセ」と


事あるごとに何度も思いましたし、



いくら頑張ってもポジティブになれないとか、
普通に人と接したりするにも、
人生の様々な場面で
幼い頃から染み付いた潜在意識の影響で
メンタル面に問題が出てくることもあり、

どこかで、
吉岡くんと同様になっていた可能性は、
正直、高くありました。



私の他にも、
きっと、思ったよりも 多くいらっしゃる、
そういう人を。


弱虫だから仕方ない、と蔑んだり、
否定したり 見過ごしたりせずに、


どうか、 少しでも。

その気持ちに 寄り添える人が、
これから増えていくことを。

私は、心から希望しています。



広い視野をもって、価値観にとらわれず、
お互いに

 “ 思い遣る ”  こと…
 
難しいことなのかも、知れないですが。。。



IMAGINE 夢想家 夢追人 …?

無関心でいることのおそろしさ


沖縄慰霊の日に寄せて 

ニュースで映し出されていた
戦争を体験された高齢の方々。

平和の礎に手を合わせて
そっと涙を拭う姿から、
どれほどの想いを抱えて
これまでの人生を暮らして来られたのか…

「もう二度と、
絶対に、戦争なんて起こしてほしくない」

「長い年月が経ちましたが、
悲しみは変わりません」

との、
強い想いの込もった、

キッと厳しい眼差し…

 


ある特集では、
女性が9歳のときに
赤ん坊だった弟をおぶって避難したところ、

日頃はとても優しく親切な近所の人達から
「赤ん坊の泣き声のせいで米兵に見つかるから
ここから出て行け!」と言われ、

誰ひとりとして助け舟を出さなかった…
自らの保身のために
幼い少女と赤ん坊を
危険な外へ追い出すという…

 

「人間が、人間でなくなるのが、戦。」

 


その後栄養失調で
弟さんは亡くなったそうですが、
「赤ちゃんの泣き声がずっと頭から離れません」
と涙ぐんでおられました。


この方は、長年口をつぐんできた事を悔いておられ、
「出来るだけたくさんの人に戦争の恐ろしさを知ってもらいたい」と、
近年は積極的に学校などで体験談を講演されているそうです。


女子大生と思しき若い女性のインタビューでは、
「伝えていくことが大事。
自分に子供が生まれたら
しっかり伝えて絶やさないようにします」

などの頼もしいコメントもあり、、

関連で、
私は過去の身近な人の発言を思い返しました。

 


私は京都府で生まれ育ち、
小学校に入学しました。
私が通っていた小学校では
一ヶ月以上ある長い夏休みの間に
登校日が設けられていて、
その登校日には、
はだしのゲン』などの
戦争に関するアニメ映画を
体育館で全校児童で鑑賞するのが恒例でした。
いわゆる “平和教育” が根付いていたのです。

4年生の春に家庭の事情で札幌市に転校してからは、特に平和教育のようなものはありませんでしたが、
私は個人的にずっと関心を持ち続けていたため、
自由研究で祖父母に戦争体験を聞いたり、
陸軍登戸研究所について調べたりもしました。


そのエピソードをある時に話したところ、

「そういう事(戦争の話題)を言う人は
変な人と思われるから
他人に言わない方が良いよ」

という趣旨のことを言われ、
とても釈然としなかった思い出。。。

 

その相手も関西で生まれ育っていますが、
私の小学校のような平和教育があったかは、
定かではないのですが、、

地域によって教育方針もさまざまで
沖縄、長崎、広島がある西日本のほうが
平和教育に重きを置く傾向があり
育った地域による価値観の違いがあるのかな、、と、長年思っていたのですが。

よく考えると、
同じ家で育った私の妹も
そういえば、そういった考え方かな、と、。
妹は京都にいた時は幼なかったので
平和教育の記憶も無いという事もありますが…

育った環境が同じでも、、。
学校の授業や講演、テレビなど
日常のあらゆる場面で
同じ人の、同じ話を、聞いていても。。

人それぞれ、
感じかたは千差万別であるということに
改めて、
妙に納得しました。


戦争は怖い、暗い、などと、
単純にその物事が好きか嫌いかという
価値観の違いとも思えますが…


特集では、
大田光さんという大阪府出身の若い女性が、
沖縄に住み込んで戦争について調査し、
観光ガイドとして知らせていくという活動をされていることが紹介されていましたが、

「以前の私のように
無関心でいる人達の認識を変えたい」

というようなことを仰っておられました。

 


個人が生まれ持った性格や
育った環境、
周りの人間関係などによって、
本当に、 10人10色、100人100色… と、
それぞれが皆、
さまざまに違っていること自体は
自然なことですし、


そうでなければ
世の中が成り立ってはいない…

とも思います。

が、。。

 

バックナンバーの
銃社会マリー・アントワネットアドラーの記事などとも重なりますが、

 

本当は大事なことと、
薄々、分かってはいながら、
あえて見ないフリ、
面倒な事には関わりたくない、
明るい、楽しいことだけして生きたい……


大勢の人が、そうしていく、
その、先の未来は、、
どうなっていくでしょう???

 

明るく楽しい、

輝く未来は、ありますか?

 

 

戦後70年を越え、
戦争を体験された方々がどんどん少なくなっています。
そんなご高齢の方々が、
口々に仰っておられました。

 

「今の日本の状況は
知らぬ間に軍国主義に駆り立てられていった、

戦前にとても似ていて
危うさを感じている。


だから、、

伝えていかなければ。。」  

 

 

 

子は、親をうつす、鏡。

いじめによる自殺のニュースがまたありました。
過去に記したものですが以下シェアします。

 

 

〈 2016.12.14 記 〉
今朝のニュースで、また新たな、
福島から避難して来られているご家族のお子さまへの、
悪質な嫌がらせが報じられていました。

他人の弱みにつけ込んで恐喝などをするような、
そんな、荒んだ心を持つ子ども…
大人も。。

その人達を、
そんなふうに駆り立てた、
そんな人間に成長してしまった背景こそが、

もっと、
真剣に論じられるべきではないかと、
私は思います。

 
思い遣りの心が備わっていれば、

あれだけの大変な災害に遭われて、
身近な方が亡くなられたり、
思い出の地が無くなってしまったり、
それだけでも
計り知れない心労のなか、

原発事故のために
故郷を離れざるをえなくて
大変な思いをして避難して来られている、

慣れない土地で
多くの不安を抱えながら
それでも健気に、懸命に暮らしておられる…

そんな方々に。
とてもとても、出来っこない!!
出来ないと言うより、

そんな発想が、有ることすら、
信じ難いのですが。。

現実は、耳を疑う、目を覆いたくなる
ドウシテナノ???
と頭を抱えてしまうことがいっぱいですね。

学校や教師の対応が論じられていますが、

もちろん教師が加担するなど言語道断、
弁解の余地もなく
即刻、辞職すべきですし、

そんな時こそ、
教師の本領発揮の場であり、
事情がよく分かっていない児童生徒の為に
経緯を教えた上で、
人としての思い遣りのココロを育む、
絶好の機会と捉えて取り組むべき…

と、私は思うのですが、

そういった考え方ができる教師が
果たしてどのくらいの割合なのか、
出来れば調査した方が良いのでは?
教員採用試験に、
その手の適性検査があっても良いのでは…
とも、思います。

そういった
根本的なところから
テコ入れをして行かなければ、
いつまでたっても、
ひとつも解決に至らないと思います。

教育機関については
そんな課題が山積していますが。

特に子どもの、そうしたトラブルは、
むしろ
それぞれの家庭での

親の在り方が、
大きく影響すると思います。

親自身が、
どんな価値観を持って生きているか。。

改めて子どもと話し合うということをしなくても、
子どもは自然と
親の想いを感じ取っているものです。

日々暮らしを共にしていれば、
様々な場面で親の発言に接し、

子どもにとっては
何をおいても1番に信頼している
親の考え方に、
無意識に共感して
それが積み重なって
人格形成されていくのではないかと思います。

私の身近でもおりましたが、
自分のことは棚に上げて
子どもにばかり
理想やキレイごとを押し付けて教育しようとしても、
そんな表面的な、偽善的なものは
結局は
何の説得力も無いし、

子どもは、たとえ幼くても、
シッカリと、見抜いています。

私も、自分で耳が痛いですが、、
「どうしてこの子は…」
とボヤいても、
根本は、親自身が、そう育てたのです。

子は親の鏡!
ですね。

やわらかい心をもちましょう。

ある朝のバスの中で。

バスに乗った瞬間、私は
広い二人分の優先席にゆったりと座る母娘に釘付けになりました。
幼稚園の制服を着た女の子は
ゴキゲンで楽しそうに

お母さんと話したりしていました。

その目の前には、
おそらく80才前後と思しき
小柄で か細い、高齢の女性が
立っていらっしゃいました。

私はその母娘に声をかけるべきか、
それとも他にお婆さまが座れる席はないかと見回しましたが、あいにく満席でした。
少しして母娘が降りると、
すぐにお婆さまはその席に座られたので
私は安堵しました。


大人1人分の広い優先席に
小さな子どもを座らせて
更に母親自身もその隣に座り、
目の前に高齢者が立っているのに気が付かないのか、気付いていても譲る気がないのか…

しきりに
「足を閉じて座る!」
「手袋は外に出てから」などのマナーを教えていた、
自分の世界しか…周りが見えていない母親…

“お行儀よく” 育てようと一生懸命な気持ちは伝わってきましたが、、

肝心なトコロが… 抜けていませんか?
何か、ズレていることに気が付きませんか?
と心で思いつつ、
よほど声をかけようかとも思いましたが、
先日のある一件が思い返されたこともあり、
結局、
傍観するだけに留まってしまいました。

 

その一件とは、
夕方の東海道線の電車内の出来事。
大きな荷物を持った旅行者や

通勤通学客でギュウギュウの車内で、
「優先席に子どもを座らせるんじゃないよ!

抱っこして座るか立たせなさい!
子どもは半額しか払ってないんだから」
という
初老?の女性の荒い声がきこえてきました。
若い母親らしい声が
「ナニ自分が座りたいからって!」
と言うと
「当たり前でしょう高齢者なんだから!
優先席のマナーを知らないの!?」
などと押し問答の末、
席を譲られて女性は座ったようでしたが、
それからも
「まったく!

マナーも何もわからないんだから!

知らないから教えてあげてるの」
などと小言を続ける女性に、
私の前に立っていた若い男性が
「座れたんだから黙れやババア!」と言うと
「ウルサイよ!
マナーが悪いのを誰かが叱らないと

わからないでしょう!」
と…、女性はおさまらないようでした。


このことを考えると、
見ず知らずの人に声をかけることで
思いがけないトラブルに発展するかも知れない…
というような懸念が生まれました。


…かと思えば、おなじ電車でのエピソードで
だいぶ前のことですが、
電車内で私がスマホで映画を視聴していた時、
イヤホンジャックにキチンと刺さっていなかったようで音漏れ…というより
音がそのまま周りに聞こえていたことに
全く気付かずにいて、
それを同年代くらいの男性が教えて下さって

とても恥ずかしい思いをしつつも
おかげさまで直すことができたことがありました。
降り際にその男性に再度お礼を言ったところ

「えっ、ああ…」と

あまり気にしていない様子でしたので、
その方にとってはごく普通の、
日頃から当たり前にしていることだったのかも…知れませんが、


私にとっては、
見ず知らずの方が
きっと本当は、とても言いにくいし
見てみぬふりも出来たところ
わざわざ教えてくださったことが、
とても有り難く嬉しかったですし、
“イイ人だったなぁ” と
今でも印象に残っています。

 

 

私が子どもの頃、
NHK教育テレビ『できるかな』
という工作の番組に出演されていた
ノッポさん” こと高木のっぽさんが以前、
こんなことをおっしゃっていました。


『 私は “子ども” ではなく

 “小さな人” とよんでいます。
子どもは小さくても自分をしっかり持った
大人と同等の人。


母親の
「あんたみたいな不器用な子見たことない」
の一言で工作への絶望…コンプレックスだった。

父親
「あなたは強い人なんだ。
だから電車では座らずにしっかり立てるんだ」
の一言で そうだ、自分は強い人なんだ!と誇らしかった。
以来、

お年寄りを差し置いて座ることはしていない。八十歳を超えた今でも…


親の何気ない一言が
子どもにとっては深く印象に刻まれる。

 

今の子どもは
我先に!と座る席を探す。
 →親の教育がいけないから。

 

さいごに…
人は一人では生きられない。
人に優しく、みんなと仲良く生きましょう 』

 

 

大勢の、それぞれが違う環境で育ち
さまざまな生活をしている人たちの
それぞれの

さまざまな価値観が入り組んでいる世の中で、
どうするのが正解か?? とは、 
本っ当にむずかしくて
何とも、言えないところがありますが…、

 

夫婦間でも家族間でも、
対人関係全般に通じるのは
相手の立場に立ってみる “思い遣り” 
押しつけではない自然な “優しさ” が、
不可欠なものと、
私はあらためて感じました。

 

金子みすゞさんの
“ みんな違って みんな良い ”

相田みつをさんの
“ セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
どっちかやわらかければ大丈夫
やわらかいこころを持ちましょう ”

 

この2つの言葉がおもい浮かびました。

 

“思い込み” にとらわれていると…

住んでいたアパートが取り壊されることになったため、
この度やむなく引越しをしました。

娘の進学も控えていますので
なるべく家賃を抑えようと探していたら、
これまで10年ほど暮らした川崎市より
隣の横浜市の方が手頃な家賃で、
気に入ったところも見つかったので
横浜市に転出したのですが、

それを決めるにあたり、
だいぶ前に人から聞いていた
横浜市より川崎市の方が

児童手当などが充実している」
との情報がひっかかって
躊躇する気持ちがあったのですが、

いざフタをあけてみると、
むしろこちらの方が
いろいろと手厚いことがわかりました。

約8年ほど前に、
たった一人の人から聞いた情報を鵜呑みにして、
改めて調べてみようともしませんでしたし、
長年、間違った情報を
その通りに思い込んでいたことに、
この度の引越しで気が付きました。

もしかしたら私も、
どこかで、そう人に話したかも知れません。。


こうした、

何気ない会話の中の
一人の発言がずーっと記憶に残って
事実誤認をしてしまっていることって、
意外と多いのかも。。

と思いました。
(数年の間に変わっていて、
以前はそうだったのかも…知れませんが)

 

 

TEDという番組で、
銃によって弟の人生、さらに家族の人生が

変わってしまったという男性による、
アメリカの銃社会についての講演がありました。

 

アメリカ人の大半は、
家族を守る、保身のためという、
“ごく一般的な”  価値観によって、
疑問を持つこともなく
銃を所持していると言いますが、

その一方で、
銃による事件や事故で命を落とす子どもなどが
後を絶たないとのことでした。


これは、
アメリカの上層部と銃関連会社の
利益のためだけに、
都合よく理屈をつけて
“意図的に” 国民に植え付けられた、
言わば
洗脳された価値観によるものだ。
との警鐘を鳴らしていました。


そもそも銃が無ければ、
落とさずに済んだ、多くの尊い命…
その現実を知ってもなお、
「でも皆持ってるし」
「持たないと不安…」などと

銃関連企業など上層の人々の
“思うツボ” に陥っている現状。。


もう10年以上前に、
アメリカに留学経験のある友人に、
「アメリカって、銃社会でしょ。恐くない?」
と聞くと、
「保身のためだけだから。
みんな持ってるけど

危ないことなんてないし、

全然、恐くないよ〜」との返答でしたが…
当のアメリカ国民も、
同じ感覚なんだろうな…

と思いました。

もはや、
銃社会であることに対して

異を唱えるほうがオカシイ、

という感覚…?


私としては、
恐ろしい凶器である銃が身近に、

フツウに在るということに
そこまで、
無頓着な感覚のほうが、
異常なように思いますし、
そこに、更なる恐ろしさを感じます。


実際、たまにニュースで、
学校での銃乱射事件や、
無邪気な幼い子どもが遊んでいて
誤って人を撃ってしまった
なども耳にします。
 

被害者は勿論のこと、
加害者側だって、
その一件のために
重い十字架を背負って
その後の人生を過ごすのです。

 

こんな事件は、
銃そのものが無ければ起こり得ないことです。
いざ我が身に悲劇がふりかかってから
気が付いても、遅いのです。


泣いてもわめいても、
失くなってしまった命は還りません。

 


そういった
先の先まで、見通せる想像力が、、
一方的な情報に流されない賢さが。。


生きていく上では
とても、大切な事と、思います。


短絡的に、
目先のメリットだけにとらわれて
マイナス面については、
見えていても無視、気付かないフリ…
それを続けた先は、、。


どうなっているでしょう??

 


そんな、
実は、…要注意! な、無責任な情報が、
この世のあらゆる所に存在しています。
常に、

賢い視点をもっていたいものです。

 


「結婚したい」と言っていても
うわべの良い面だけを期待して
夢見がちな人…

ご自身についても
いい面、プラスのイメージだけを活用して
マイナス面は見せないように…
というような頑張り方をしても、、
そのうち、
疲れてしまいますよね。

それで恋人ができたとしても、
どこかで無理が生じて

辛くなりますし、
結局は無駄な努力になることが
多くなる…気がします。

 


「こうしないと!」

「こうじゃないと!」
良い人とは、出逢えない…
などという、
ありきたりな “思い込み” …

 

他のさまざまなところでも、
いつもと視点を変えてみる、
長年の思い込みによって
頑なに決め付けてしまっていることを、

一度、

ザックリ取り払ってみて、

「らしく」を大切に
価値観や考え方を見直してみると、

 

もっともっとラクに、
自分らしくいられますし、

そうして気張らずに 自然体でいたほうが
気の合う人との出逢いも、
ずっと 近くなるのでは、ないでしょうか。


結婚とは、
その後の生涯の長い年月を共にする、
日常の生活そのものですので、

ご自身の仲の良い家族との関係のように

 

気負わず、居心地が良く、

お互いが、居られることが

何よりなのでは…

と、私は思っております。

 

 

 

 

麗しのマリー・アントワネット

六本木ヒルズ森美術館で開催中の
マリー・アントワネット展に
行ってまいりました。

10年ほど前にパリ郊外の
ヴェルサイユ宮殿を訪れたことがあり、
プチ・トリアノン宮殿や
王妃の寝室を見て、
懐かしい情景が思い起こされました。

当時5歳の娘を連れていたので、
途中で飽きてしまって
なかなか思うように
ゆっくり見られなかったこともあり、
また行きたくなりました。

たしか高校の読書感想文で、
『悲劇の王妃』というマリー・アントワネットについての小説を読み、
賞をいただいたという
私の中ではちょっとした良い記憶もあり…
以来、
ロココ調文化や建築物、衣装の華やかさが
とても好きですし、
それとは対比する
マリーの境遇などについて、
興味をもってきました。


この度も、
はじめは
あどけなく愛らしい、
華やかな王妃の生活ぶり、
豪華絢爛な調度品、
日本の陶磁器などの食器、
タペストリー、絨毯などに
微笑ましく、目が潤され癒されましたが、

順路を進むにつれて、
王妃を取巻く人々の
嫉妬や憎悪からなる出来事から、
だんだん
窮地に追い込まれていく一家の様子に、
鑑賞されている皆さんも
表情がこわばって
緊縮した面持ちになっていました。


貧困でパンも買えない人々に対して
「パンがなければ、
お菓子を食べれば良いじゃない」と
マリーが言ったという、有名なエピソードは、
実際は、
言っていない。。とか、

有名な首飾り事件も、真相は
詐欺師と、
強欲に駆られた貴婦人が
マリーの知らないところで
勝手にマリーの名を語っていた事件なので、
むしろマリーは被害者であった…など、、


真実が見えなかった民衆が
マリーが贅沢三昧で
私腹を肥やすことばかりしている、と、
当時の風刺画などからも刺激されて、、。
その末の、結末。


何の悪気もなく、純粋な、
良妻賢母でもあるマリーなのに…
「民衆の幸せのために尽くすのが王族の務め」

とも考えていた、心優しい王妃なのに……


きっと、、始めは。
誰かひとりの、何気ないひと言から、
どんどん尾ひれがついて
悪い噂話ばかりが大きくなり、
事実とは
かけ離れたエピソードだけが
ひとり歩きした結果、

それを鵜呑みにした民衆が怒って、
あれよあれよと
悲劇に繋がったものかと、
考えられます。


死刑に処した陪審員も、民衆も。。
「誰も責めることはしない、
私は何も恥ずべきことはない…」と、
敬愛する、先立った夫と同じように、

自らの犠牲の代わりに、

後の世の中が

良いものになっていくことを願いながら…


処刑を静かに受け入れ、
最期の瞬間まで、
毅然としていた

と、いいます。

 

貧困にあえぐ民衆から見ると、
宮殿の生活は贅沢ですし、
そこに反感をもつのは
仕方がないかも知れませんが…

でも、

だからと言って
マリー一家を糾弾して
処刑に追い込んでも
解決するわけではないですし、

むしろ、
きちんと向き合って訴えたり
話し合いが出来ていれば、
それなりに

救済措置をとることができたであろう、
人柄も温かい、

マリー夫妻だったのに…


真実を見誤ることが、
本当に、

コワイことだと感じましたし、
さらに、
嫉妬や憎悪といった感情を増幅させても、

『百害あって、一理なし!』
一理どころか、
一時的に快楽?を得られたとしても。


結果的に、
いずれは、巡りめぐって
自らの首を、絞めることに

つながることになる…

気がします。

 

“因果応報” “情けは人のためならず”…?

とにかく、
人を妬んだり羨んだりするということは、

本っっ当に、
愚かなこと。。
と、思います。

 

あらゆる格差が生まれることは
この世の常ですし、

仕方がない事とはいえ、、

それでもやはり

理不尽などを感じたなら、


短絡的に
気に入らない人を蔑んだり、

陥れよう…
などと目論むより。。

 

どうしたら、

解決するか、
より良くして行けるか、
現実的に、その物事を
前向きに、改善する!

という希望をもって
皆で

話し合うなど、する方が

よほど、

得策なのでは??

 

 

現在は
マリーの時代からは考えられないほど
情報技術が進み、
あらゆる情報が簡単に手に入れられますが、
玉石混交の、
情報過多なほどの世の中で、
そんな世、

だからこそ、。!


それぞれ、一人ひとりが、
道を見誤らないために、

 

まずは、
自分自身を律する…、
己の良心に従って精査する、

 

なにが、

本当に、大切なことなのか、
真実を見抜く目を養う…

 

マリー・アントワネットの一例のように、
過去の経験、歴史から学ぶ。。


そんなことが。
とても、

重要なのではないかと。
私は思っています。

 

 

たまたま視聴した
『知恵泉』という番組での、
五代友厚氏 の言葉で、

 

「潰しあうより支え合え」
「商売敵と力を合わせよ」
「会社が栄えるか、滅びるかは、
経営者が義務を果たすことは勿論、
お互い親密にし、友情をもって
助け合わなければならない」

 

との、“相互扶助” の精神がありました。

 

 

かの大国の、次期大統領にも、
届けたい言葉です。