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☓2結婚カウンセラーの思考録

2度の結婚・離婚、子育てを経たからこそ見えてきたさまざまな物事を綴ります

やわらかい心をもちましょう。

ある朝のバスの中で。

バスに乗った瞬間、私は
広い二人分の優先席にゆったりと座る母娘に釘付けになりました。
幼稚園の制服を着た女の子は
ゴキゲンで楽しそうにお母さんと話したりしていました。

その目の前には、
おそらく80才前後と思しき
小柄で か細い、高齢の女性が
立っていらっしゃいました。

私はその母娘に声をかけるべきか、
それとも他にお婆さまが座れる席はないかと見回しましたが、あいにく満席でした。
少しして母娘が降りると、
すぐにお婆さまはその席に座られたので
私は安堵しました。


大人1人分の広い優先席に
小さな子どもを座らせて
更に母親自身もその隣に座り、
目の前に高齢者が立っているのに気が付かないのか、気付いていても譲る気がないのか…

しきりに
「足を閉じて座る!」
「手袋は外に出てから」などのマナーを教えていた、
自分の世界しか…周りが見えていない母親…

“お行儀よく” 育てようと一生懸命な気持ちは伝わってきましたが、、

肝心なトコロが… 抜けていませんか?
何か、ズレていることに気が付きませんか?
と心で思いつつ、
よほど声をかけようかとも思いましたが、
先日のある一件が思い返されたこともあり、
結局、
傍観するだけに留まってしまいました。

 

その一件とは、
夕方の東海道線の電車内の出来事。
大きな荷物を持った旅行者や通勤通学客でギュウギュウの車内で、
「優先席に子どもを座らせるんじゃないよ!

抱っこして座るか立たせなさい!
子どもは半額しか払ってないんだから」
という
初老?の女性の荒い声がきこえてきました。
若い母親らしい声が
「ナニ自分が座りたいからって!」
と言うと
「当たり前でしょう高齢者なんだから!
優先席のマナーを知らないの!?」
などと押し問答の末、
席を譲られて女性は座ったようでしたが、
それからも
「まったく!マナーも何もわからないんだから!

知らないから教えてあげてるの」
などと小言を続ける女性に、
私の前に立っていた若い男性が
「座れたんだから黙れやババア!」と言うと
「ウルサイよ!
マナーが悪いのを誰かが叱らないと

わからないでしょう!」
と…、女性はおさまらないようでした。


このことを考えると、
見ず知らずの人に声をかけることで
思いがけないトラブルに発展するかも知れない…
というような懸念が生まれました。


…かと思えば、おなじ電車でのエピソードで
だいぶ前のことですが、
電車内で私がスマホで映画を視聴していた時、
イヤホンジャックにキチンと刺さっていなかったようで音漏れ…というより
音がそのまま周りに聞こえていたことに
全く気付かずにいて、
それを同年代くらいの男性が教えて下さって

とても恥ずかしい思いをしつつも
おかげさまで直すことができたことがありました。
降り際にその男性に再度お礼を言ったところ

「えっ、ああ…」とあまり気にしていない様子でしたので、
その方にとってはごく普通の、
日頃から当たり前にしていることだったのかも…知れませんが、
私にとっては、
見ず知らずの方が
きっと本当は、とても言いにくいし
見てみぬふりも出来たところ
わざわざ教えてくださったことが、
とても有り難く嬉しかったですし、
“イイ人だったな〜” と
今でも印象に残っています。

 

大勢の、それぞれが違う環境で育って
さまざまな生活をしている人たちの
それぞれのさまざまな価値観が入り組んでいる世の中で、
どうするのが正解か?? とは、 
本当にむずかしくて
何とも、言えないところがありますが…、

 

夫婦間でも家族間でも、
対人関係全般に通じるのは
相手の立場に立ってみる “思い遣り” 
押しつけではない自然な “優しさ” が、
不可欠なものと、
私はあらためて感じました。

 

金子みすゞさんの
“ みんな違って みんな良い ”

相田みつをさんの
“ セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
どっちかやわらかければ大丈夫
やわらかいこころを持ちましょう ”

この2つの言葉がおもい浮かびました。

 

“思い込み” にとらわれていると…

住んでいたアパートが取り壊されることになったため、
この度やむなく引越しをしました。

娘の進学も控えていますので
なるべく家賃を抑えようと探していたら、
これまで10年ほど暮らした川崎市より
隣の横浜市の方が手頃な家賃で、
気に入ったところも見つかったので
横浜市に転出したのですが、

それを決めるにあたり、
だいぶ前に人から聞いていた
横浜市より川崎市の方が

児童手当などが充実している」
との情報がひっかかって
躊躇する気持ちがあったのですが、

いざフタをあけてみると、
むしろこちらの方が
いろいろと手厚いことがわかりました。

約8年ほど前に、
たった一人の人から聞いた情報を鵜呑みにして、
改めて調べてみようともしませんでしたし、
長年、間違った情報を
その通りに思い込んでいたことに、
この度の引越しで気が付きました。

もしかしたら私も、
どこかで、そう人に話したかも知れません。。


こうした、

何気ない会話の中の
一人の発言がずーっと記憶に残って
事実誤認をしてしまっていることって、
意外と多いのかも。。

と思いました。
(数年の間に変わっていて、
以前はそうだったのかも…知れませんが)

 

 

TEDという番組で、
銃によって弟の人生、さらに家族の人生が

変わってしまったという男性による、
アメリカの銃社会についての講演がありました。

 

アメリカ人の大半は、
家族を守る、保身のためという、
“ごく一般的な”  価値観によって、
疑問を持つこともなく
銃を所持していると言いますが、

その一方で、
銃による事件や事故で命を落とす子どもなどが
後を絶たないとのことでした。


これは、
アメリカの上層部と銃関連会社の
利益のためだけに、
都合よく理屈をつけて
“意図的に” 国民に植え付けられた、
言わば
洗脳された価値観によるものだ。
との警鐘を鳴らしていました。


そもそも銃が無ければ、
落とさずに済んだ、多くの尊い命…
その現実を知ってもなお、
「でも皆持ってるし」
「持たないと不安…」などと

銃関連企業など上層の人々の
“思うツボ” に陥っている現状。。


もう10年以上前に、
アメリカに留学経験のある友人に、
「アメリカって、銃社会でしょ。恐くない?」
と聞くと、
「保身のためだけだから。
みんな持ってるけど

危ないことなんてないし、

全然、恐くないよ〜」との返答でしたが…
当のアメリカ国民も、
同じ感覚なんだろうな…

と思いました。

もはや、
銃社会であることに対して

異を唱えるほうがオカシイ、

という感覚…?


私としては、
恐ろしい凶器である銃が身近に、

フツウに在るということに
そこまで、
無頓着な感覚のほうが、
異常なように思いますし、
そこに、更なる恐ろしさを感じます。


実際、たまにニュースで、
学校での銃乱射事件や、
無邪気な幼い子どもが遊んでいて
誤って人を撃ってしまった
なども耳にします。
 

被害者は勿論のこと、
加害者側だって、
その一件のために
重い十字架を背負って
その後の人生を過ごすのです。

 

こんな事件は、
銃そのものが無ければ起こり得ないことです。
いざ我が身に悲劇がふりかかってから
気が付いても、遅いのです。


泣いてもわめいても、
失くなってしまった命は還りません。

 


そういった
先の先まで、見通せる想像力が、、
一方的な情報に流されない賢さが。。


生きていく上では
とても、大切な事と、思います。


短絡的に、
目先のメリットだけにとらわれて
マイナス面については、
見えていても無視、気付かないフリ…
それを続けた先は、、。


どうなっているでしょう??

 


そんな、
実は、…要注意! な、無責任な情報が、
この世のあらゆる所に存在しています。
常に、

賢い視点をもっていたいものです。

 


「結婚したい」と言っていても
うわべの良い面だけを期待して
夢見がちな人…

ご自身についても
いい面、プラスのイメージだけを活用して
マイナス面は見せないように…
というような頑張り方をしても、、
そのうち、
疲れてしまいますよね。

それで恋人ができたとしても、
どこかで無理が生じて

辛くなりますし、
結局は無駄な努力になることが
多くなる…気がします。

 


「こうしないと!」

「こうじゃないと!」
良い人とは、出逢えない…
などという、
ありきたりな “思い込み” …

 

他のさまざまなところでも、
いつもと視点を変えてみる、
長年の思い込みによって
頑なに決め付けてしまっていることを、

一度、

ザックリ取り払ってみて、

「らしく」を大切に
価値観や考え方を見直してみると、

 

もっともっとラクに、
自分らしくいられますし、

そうして気張らずに 自然体でいたほうが
気の合う人との出逢いも、
ずっと 近くなるのでは、ないでしょうか。


結婚とは、
その後の生涯の長い年月を共にする、
日常の生活そのものですので、

ご自身の仲の良い家族との関係のように

 

気負わず、居心地が良く、

お互いが、居られることが

何よりなのでは…

と、私は思っております。

 

 

 

 

麗しのマリー・アントワネット

六本木ヒルズ森美術館で開催中の
マリー・アントワネット展に
行ってまいりました。

10年ほど前にパリ郊外の
ヴェルサイユ宮殿を訪れたことがあり、
プチ・トリアノン宮殿や
王妃の寝室を見て、
懐かしい情景が思い起こされました。

当時5歳の娘を連れていたので、
途中で飽きてしまって
なかなか思うように
ゆっくり見られなかったこともあり、
また行きたくなりました。

たしか高校の読書感想文で、
『悲劇の王妃』というマリー・アントワネットについての小説を読み、
賞をいただいたという
私の中ではちょっとした良い記憶もあり…
以来、
ロココ調文化や建築物、衣装の華やかさが
とても好きですし、
それとは対比する
マリーの境遇などについて、
興味をもってきました。


この度も、
はじめは
あどけなく愛らしい、
華やかな王妃の生活ぶり、
豪華絢爛な調度品、
日本の陶磁器などの食器、
タペストリー、絨毯などに
微笑ましく、目が潤され癒されましたが、

順路を進むにつれて、
王妃を取巻く人々の
嫉妬や憎悪からなる出来事から、
だんだん
窮地に追い込まれていく一家の様子に、
鑑賞されている皆さんも
表情がこわばって
緊縮した面持ちになっていました。


貧困でパンも買えない人々に対して
「パンがなければ、
お菓子を食べれば良いじゃない」と
マリーが言ったという、有名なエピソードは、
実際は、
言っていない。。とか、

有名な首飾り事件も、真相は
詐欺師と、
強欲に駆られた貴婦人が
マリーの知らないところで
勝手にマリーの名を語っていた事件なので、
むしろマリーは被害者であった…など、、


真実が見えなかった民衆が
マリーが贅沢三昧で
私腹を肥やすことばかりしている、と、
当時の風刺画などからも刺激されて、、。
その末の、結末。


何の悪気もなく、純粋な、
良妻賢母でもあるマリーなのに…
「民衆の幸せのために尽くすのが王族の務め」

とも考えていた、心優しい王妃なのに……


きっと、、始めは。
誰かひとりの、何気ないひと言から、
どんどん尾ひれがついて
悪い噂話ばかりが大きくなり、
事実とは
かけ離れたエピソードだけが
ひとり歩きした結果、

それを鵜呑みにした民衆が怒って、
あれよあれよと
悲劇に繋がったものかと、
考えられます。


死刑に処した陪審員も、民衆も。。
「誰も責めることはしない、
私は何も恥ずべきことはない…」と、
敬愛する、先立った夫と同じように、

自らの犠牲の代わりに、

後の世の中が

良いものになっていくことを願いながら…


処刑を静かに受け入れ、
最期の瞬間まで、
毅然としていた

と、いいます。

 

貧困にあえぐ民衆から見ると、
宮殿の生活は贅沢ですし、
そこに反感をもつのは
仕方がないかも知れませんが…

でも、

だからと言って
マリー一家を糾弾して
処刑に追い込んでも
解決するわけではないですし、

むしろ、
きちんと向き合って訴えたり
話し合いが出来ていれば、
それなりに

救済措置をとることができたであろう、
人柄も温かい、

マリー夫妻だったのに…


真実を見誤ることが、
本当に、

コワイことだと感じましたし、
さらに、
嫉妬や憎悪といった感情を増幅させても、

『百害あって、一理なし!』
一理どころか、
一時的に快楽?を得られたとしても。


結果的に、
いずれは、巡りめぐって
自らの首を、絞めることに

つながることになる…

気がします。

 

“因果応報” “情けは人のためならず”…?

とにかく、
人を妬んだり羨んだりするということは、

本っっ当に、
愚かなこと。。
と、思います。

 

あらゆる格差が生まれることは
この世の常ですし、

仕方がない事とはいえ、、

それでもやはり

理不尽などを感じたなら、


短絡的に
気に入らない人を蔑んだり、

陥れよう…
などと目論むより。。

 

どうしたら、

解決するか、
より良くして行けるか、
現実的に、その物事を
前向きに、改善する!

という希望をもって
皆で

話し合うなど、する方が

よほど、

得策なのでは??

 

 

現在は
マリーの時代からは考えられないほど
情報技術が進み、
あらゆる情報が簡単に手に入れられますが、
玉石混交の、
情報過多なほどの世の中で、
そんな世、

だからこそ、。!


それぞれ、一人ひとりが、
道を見誤らないために、

 

まずは、
自分自身を律する…、
己の良心に従って精査する、

 

なにが、

本当に、大切なことなのか、
真実を見抜く目を養う…

 

マリー・アントワネットの一例のように、
過去の経験、歴史から学ぶ。。


そんなことが。
とても、

重要なのではないかと。
私は思っています。

 

 

たまたま視聴した
『知恵泉』という番組での、
五代友厚氏 の言葉で、

 

「潰しあうより支え合え」
「商売敵と力を合わせよ」
「会社が栄えるか、滅びるかは、
経営者が義務を果たすことは勿論、
お互い親密にし、友情をもって
助け合わなければならない」

 

との、“相互扶助” の精神がありました。

 

 

かの大国の、次期大統領にも、
届けたい言葉です。

 

 

 

どんな君でも愛している by ゆず


母と話をしていて、
「アナタは人の気持ちがわからない」
と言われ、
同じことを母に対して、
いつも私は思っているので
反発心がありました。

 

けれど
冷静に考えてみると、
母にとっては私の言動が、
私にとっては母の言動が

お互いにチガウ価値観?性格?によって
その基準で考えているから、
いくら、解ってもらおうと
これまでの長年の時間をかけて
話し合いをしても、

どこまでも、平行線をたどるのみで
結局はムダなんだ。。
と、この度は
なんだか妙に、腑に落ちました。

友人や妹が言うことに
今ごろやっと
納得できた気もしました。

 

 

あるメールマガジンで、
私と似た境遇の、
過干渉・押しつけが強い母親に、
「自分のことを理解してくれている彼との結婚を認めてもらえない…」
との相談に、
たくさんの共感、
似た境遇の女性からの
反響が多数あったことも紹介されていて、
私自身もその一人ですし、
改めて、
同じ悩みを抱えて苦しみ、
そのような母親の影響を受けた結果、
ご自身の不幸に繋がっている人が
多くいることを認識できました。


学歴が彼のほうが低いから、
という理由で反対されているそうですが、、

 

私の母もよく言いますが
母親としては、
「あなたの為を思って」とは、
たぶん本音ですし、本気なのです。
けれど、、
その価値観が同じなら、きっと問題ないのですが、
多くは別個の人間なので違っています。

そして私が主張する、
「本当に私のことを想うなら私を尊重して」
のような言葉には耳をかしません。

そんな言動を見る限り、
どこにも
私に対する共感や尊重する意思は伺えませんし、
母親自身の、
世間体や自己満足のために
正当化しているとしか思えません。
実際、
「アンタは私の顔に泥を塗るのかい」
などの発言もわりと多いですし。


そもそも
結婚して長い人生を共にするのはご自身であって

母親ではないですし、
“娘のことを理解してくれている人”
という、
何より娘にとって

好条件と思える方との良縁を反対するとは…

やはり、母親自身の、勝手な都合優先
の考え方かと、思われます。

 

みんな、“自分自身” が、
幸せになるために
生まれてきて、
それぞれの、1度きりの
人生を
生きていく。。


この言葉に、尽きると思います。

 

また私のことをお話すると、
そんな、
支配する母の元で育った私は、
自分が価値のある人間だと思えないので
自己肯定ができず、

気がつけばいつも、
母と同じように
私を従わせようとする人や、
私を下に見て
偉そうにするような人とばかり付き合っていました。
私が何か主張すると頭からバカにするような。
過去の友人も、元夫も。

 

そんな関係は不健全ですし

そもそも
そんな人自体に問題がある、
ということを、
今では判断できますし、
娘にも折にふれて話していますが、

 

そのことに気が付けたのは、
2度離婚し、
母と出来るだけ距離をおくようにして
しばらく経った、
最近のことです。

 


市の子育てサポートをしていた時に
学んだ内容で、

 

子どもは誰よりも
母親を信頼し、その愛情を必要とする…
など、
いかに幼少期からの母親との関わり、
共感、スキンシップや

コミュニケーションが重要か…
ということがありますが、

 

その、
子どもにとっては
たった一人の、かけがえない母親が
理解がなく分かり合えない、
共感してもらえない、
または
もともとの性格が合わないことから、 
ずっと、間違った育ち方をしてしまった人が、
私のようになるんですね。


どんな母親でも、(その母しかいないので)
子どもは素直に肯定し、受け入れます。
その母子関係が
人間関係づくりの土台になるので、

母親と似た人との、似た関係の中を、
違和感なく、むしろ楽しく?
居心地が良いと感じてしまい、
受け入れて共にし、
それがフツウ、というようになります。

結果、
本人がその異常さに気付けないまま成長して、
“不健全な” 人間関係しか、

築けなくなります。

 

ポイントは、“共感” です。

友人にしろ恋人にしろ、
自分の価値観や性格を、
まるごと受け止め、

すべてを肯定、
共感してくれる人
が、

人にはそれぞれ必要です。

理想を言えば、
母親がそういう存在であるのが最高なのですが、
そうではない場合が多いようですね。

たとえ親であっても、
それに見合わない人であれば、
拒絶しないと、
自分がまいってしまいます。


自らのシアワセのために、
居心地の良さを求めて、
時には
悪しき関係を振り切ることも、

大切です。


バックナンバーでも記しましたが、
あなたのことを、
またはあなたの家族や周りの人々のことを、

どれくらい尊重してくれるか。
良いところも、悪いところも。
全部、ひっくるめて、

あなたらしさ。。

などと
認めているか。

どちらかが先立つまでの、
先の長い人生を共にする

結婚相手なら、尚更。
慎重に吟味するべきと思います。

 

その上で、
お互いが
お互いのことを、「幸せにする!」
と、
挙式などで、心から、
誓うことができれば最高ですね♪

 

とは言え…
理想と現実は、
なかなか噛み合わないものですが…(・・;

 

 

前述のメルマガの女性は、
「母とドンパチ、全面対決することにしました!」

とのことで、
あ~良かった!と、

とても嬉しく思いました。
彼女の未来が

シアワセに包まれることを

願って止みません。

 


数クール前のNHK朝ドラ『ごちそうさん
の主題歌の、“雨のち晴レルヤ” の詞

 どんな君でも愛している
 顔をあげてごらん
 光が照らす…
 
 泪も河も海へとかえる
 君と待っていたい
 昇る朝日を

 なにがあっても側にいるよ…


こんな、
温かな眼差しで

お互いにお互いが

見守ってもらえるお相手と、


たくさんの人が出会って、

皆がたくさん幸せになれたら
とっても素敵ですよね!

 

 

年の瀬ですね。
皆様におかれましては、
どうぞ、良いお年をお迎えくださいますよう、

お祈りいたします。

 

 

 

 

〈1月13日 追記〉

本日22時〜の新ドラマ

NHKドラマ10

「お母さん、娘をやめていいですか?」

この予告編をみて、

まさにこの世界だと思いました。

 

また、関連の書籍もありますので、

参考にひとつ、添付します。

<推薦書籍>

「逃げたい娘、諦めない母」信田さよ子

→ http://cs-x.net/sakuya/c/06271.html

 

 

シンプル、が、意外に難しい。。

今朝のあさイチで、
“家に帰りたくない夫”
について特集していました。

仕事でさんざんストレスにさらされて
疲れて家に帰れば
不機嫌な妻から、
いつもうるさく
アレコレ文句を言われたり
愚痴を聞かされたら、
それは帰りたくなくなる気持ち、
よくわかります。

私は個人的に、
男性はやはり根が優しくて、
そのせいもあってそこに甘んじて
女性は気が強かったり、
自己主張を押し通そうとする傾向があるのかな、と感じました。

お互いに
仕事や育児で大変だし疲れるのは同じ。
そこで双方が自分の都合ばかり主張していたら、いずれ決裂してしまいます。

要は思い遣りですよね。

いかに相手の立場にたって、
物事を考えられるか。

お互いが、
「今日もお疲れ様でした。
お陰さまで幸せです。いつもアリガトウ!」
という気持ちで居られたら。

お互いがお互いの、
癒やしとなる存在であることが、
1番大切な夫婦の在り方だと、

私のこれまでの経験や
見聞きしてきたご家族から、
切に、思うところです。

私が結婚カウンセラーとして
とくに主張したいことは、

“良い結婚とは、歩み寄り、理解し、
ありのままの自分でいられる場所を、
「相手に」与えること!”

です。
相手に求めるばかりでは上手くはいかないと、思うのです。

 

先日視聴したTEDという番組で、
数学者のハンナ・フライ氏が
あらゆる数学者の長年の研究によって証明された
“愛の方程式”について講演していました。

その中で、
“離婚回避法”の話があり、

多くの人が、
上手く行っている夫婦はお互いに
重要なことだけを話し合い、
些細なことには目をつぶるのだろう、
と思っているが、

実は、正反対に。
上手く行っている夫婦は、
どんなことにも気付かないふりはしないし、お互いに不平不満を言い合うけれど、
常に関係を修復しようと努力し、
結婚に対してポジティブな見方をしている。

些細なことに目をつぶり、
それを放置したら、それはやがて
大きな問題になりかねないから。

“怒りを溜めこむべきではない”と、
数学的に証明された
とのことでした。


よく、
“結婚は人生の墓場” とかききますが、
確かに、
根本からそんなネガティブな捉え方をしていては、
そもそも幸せな結婚生活なんてできる訳がないですね。
双方がポジティブに捉えて物事にあたる夫婦は円満…。

考えてみれば、ごく、当然。で、
とてもシンプルなのですが、
意外と私たちは気が付けないものですよね。


限りある人生の、限りある出会いの中で
奇跡的にご縁が結ばれたお相手と、、

 

せっかくなら、ポジティブに、
お互いがお互いを シアワセにする!
という気持ちで、末永く暮らせたら
とっても HAPPY ですよね。

 

 

自分の人生を生きていますか?

バックナンバーで、
自分自身が!どう生きたいのか。
ありのままの自分で。
今一度考えてみてください
…などと、何度か記しましたが、

このことを強く思うに至った
私のことについてのお話をしておきたいと思います。


私は子どもの時から、
良く言うと素直な性格
悪く言えば自分が無い性格で、
親の言うことにはわりと従ってきました。

中学生の頃には、
長野県の母の実家のあと取りが居ないから、
祖父にとって初孫である私に
「あとを継いでほしい」との祖父からの相談に、
当時まだ何も分かっていなかった私は
「田舎ってなんか好きだし、良いかも」
なんて言った記憶がありますが、
両親もその場で承諾して、
そういう話になったようでした。

23才の時に結婚することになった時、
それを聞いた祖父が「早くこっちに来い」と
当時大阪に暮らしていた私たちを呼び寄せ、
そのまま新婚生活スタート、
娘も長野県で生まれました。

そうして暮らしているうちに
元夫の母が
「ウチは養子に出した覚えはナイ」と言い出し、
それをきっかけにいろいろな話がこじれていき、
私の母が
「養子にならないでそこに居て
夫の姓を名乗ってるのは財産乗っ取る気なのか」
と発言したことに義母が激高して
大阪に私たちの新居用のマンションを購入し、
強引に引き戻されました。

それからほぼ1年後に
(詳しくは長くなるので省略しますが)
いろいろとこじれて離婚に至り、
私は自然のなりゆきで長野に戻りました。

それから元夫は娘に会いに大阪から長野まで
わりと頻繁に来ていましたが、
それを知った母はストーカー行為だ、
などと騒いで干渉してきました。
それを機に、間に弁護士を立て、
娘が自分の意志で父親に会いたいと言うまで会わない、と取り決め、
ほぼ音信不通の状態になりました。


今の私なら、
もっと上手くやり過ごすことができた気がしますが、
当時の私は母がウルサイと思いつつ、
反発しながらも
結局、いつも従ってしまっていました。


離婚後、数年経つと、母は今度は、
「再婚しなさい。
娘のためにもゼッタイその方が良いんだから!」と…。
言い出すときかない性格なので、
私がそうするまで干渉をやめないのをわかっていたため、

私は正直、
再婚はどっちでも良いと思っていましたが、
母がウルサイし…と、
友人と婚活を始めたら、そのノリもあって、
再婚するなら娘が小学校に上がる前までに、
と焦る気持ちも出て、
娘が年長さんの年の11月に知り合った
元夫からの求婚もあって、
春の入学に間に合うように
バタバタと再婚、引越しをしました。

はじめの頃は夫と娘は
一緒に遊んだりして仲が良かったのですが、
娘が成長するに伴って自我が強くなり、
反発するようになって
ギクシャクし始めてから、
それだけではなく他の諸々の要素もあり、
修復することが出来ずに昨年離婚しました。


離婚する際、娘から話を聞いていた母が、
「私は(娘)の気持ちがよくわかるわ〜
私も親が離婚して後妻さんが来て
同じ境遇だったから」

…「再婚するほうが娘の為に、ゼッタイ良い!」
と私にゴリ押しした、同じ人が言うコト??



〘余談になりますが、
ステップファミリー経験者として、
中でも、
その際の子どもの心情について、
私なりに学んだことがあります。
NHKクローズアップ現代
ステップファミリー特集に出演もしました)
ご興味ある方はお問い合わせくださいませ〙



この事だけでなく
何かと無責任に過度な干渉をしては
いざ事がこじれると
「私はそんなこと言ってない。
アンタが自分で決めたことでしょ
人のせいにしないで」と平然と開き直る
しかも一切反省しないので何度も繰り返す。。
そんな
理不尽な母にふり回されるのはもう嫌なので、
ここ数年ほどは、
私は母とは距離をおくように心がけています。


友人や妹に言わせると、
「そんなの右から左へ聞き流せばいいのに」
「このヒトはこういう人だから、
と割り切って、
言いたいんだから言わせとけば良いのよ〜」
などと何度も言われますが、、

そう出来る性格ならこんな事にはなっていないし、
こんなに悩みもしない…
というのが私の気持ちです。


私自身、自分の心の声に耳を澄ませて
もっとシッカリしないと、
と心掛けているところです。



こんな私ほどではなくても、
親の意向に振り回されている方が、
男女ともにわりと多くいらっしゃると思います。


カウンセリングをしていると、
当初「結婚したい」と仰っていたのに、
よくよく聞いていくと
「でも、親がもう歳だし、最近具合が悪くなって、私しかみられないから…」
「結婚は無理。。」と、
諦める方向に話される方がいらっしゃいます。


そうすることが、
その方ご本人が、
ココロから望まれている、
将来のカタチであるなら。
それなら問題はないのですが。。


もし、
親に対する引け目のようなものが大きいなら、
それは 如何なものでしょう?



私は常々、人はみんな、
一人ひとりがシアワセになるために、
この世に生を受け、
それぞれ1度きりの人生を
生きていると思っています。


以前に記した、
アドラー説を引用しますが、


〜だからできない、無理
〜でないから〜できない 
などと、
育った環境などから
見かけの因果律を立てて
人生の課題から逃げようとすること

→人生は思い通りに行かないもの。
 その現実を認めること
 そこに言い訳している不健全さ…


これにソックリ当てはまって、
その方が、本当に向き合うべき課題から
逃げているように思います。


確かに
今のままの現状維持をしていくほうが、
失敗に終わるかも知れない物事に挑むより
はるかにラクですし、
「コレで良いんだよ、私の人生は」
と、自身を納得させて
人生をひたすら無難に生きていくのも、
悪くはないし
それはそれでシアワセなのかも知れませんが…


お節介な私は、やはり、 

たった1度きりの人生ですよ?
なんのリスクも負わず、
切磋琢磨することもなく、
よって、
それ以上ヒトとして成長することもなければ
達成感や悦びも無い。。

本当に、、
それで良いんですか!?

と、考えてしまいます…


他にも、
今は仕事が忙しくて余裕ができたら。
もう少し自分自身が落ち着いたら…など、
周りのいろんなアレコレの
言い訳を並べたら切りがありません。


その、現状を踏まえた上で。
ひとまず諸々の雑音は 
横に置いておいて、、


さて。
 “あなた自身”  が、

これからの人生を、どう生きたいのか。

年老いてから、
あの時行動していたら…
などと後悔しないか。


多方面から、じっくりと。

向き合う時間を持ちませんか。

TRUE LOVE …

映画『ボクの妻と結婚してください。』を観てきました。

一緒だった娘と娘の友人も「泣けたナケタ」と感涙していました。

登場人物みんなが温かくて、

家族ってイイナ。。と思える、とても良いお話でした。

 

自分の亡き後の、

愛する妻と息子のために、

最高の夫・父親となる相手を探して、

仲をとり持とうと奮闘する夫。。

究極の愛ですよね。

自分がこの世から去っても、

残された家族にはまだまだ先の長い人生が続いて行く。

その未来の幸福を願って…


本当に、心から、家族を想うからこそ、の、愛情。。

深いですよね。

世の中こんな人ばかりだったら

どんなに平和で思いやりに満ちた世界になるでしょう。。憧れます。

 

 

先日。

私の友人の従姉の方で41歳になられる方が、

長年お付き合いしている彼と結婚したいけれど彼の方にその気が更々なく、

その方は子どもも望んでいるので、

他に良い人が居たら、なるべく早く結婚したい、

と仰って、婚活カウンセリングを検討されていらっしゃいました。

が、考えた結果、

「やっぱり彼が好き。結婚できなくても彼と居たい。」との結論を出されました。

いざ、具体的に他のお相手…?と考えてみて、

改めてご自身の本当の気持ちを確認できたというところでしょうか。


素敵ですよね…。

ここにも、映画と似た、純粋な愛情が存在している。。

と、私は何か、ホンワカしました。

自分の欲求を抑えても、

この人と居たい!

と思えるほどの、絆と言いますか、。

 そんなお相手がいらっしゃるということが、

実は最高にシアワセな人なのかも知れませんね。



つくづく思うのは、

人のご縁って、本当に稀有で、尊いな、ということ。

ギュウギュウの満員電車と、人混みで思うように歩けないほどの毎日の雑踏。

こん〜なに大勢の人が居ても(居るから?)

個人が生涯にお知り合いになる人数は、ほんの僅かなものですよね。

袖触れ合うも他生の縁、ともいいますね。

その僅かな人の中で、

恋をして、結ばれるなんて、

マサに奇跡、と、私は常々感じています。

更に、その中で、

ここまで相手のことを、

自分のことを差し置いても、

「好き!」と思える。

相手のことを思い遣ることができる。。

ナンテ素晴らしい……感動します。


こういうのを、

“運命の人”と言うのでしょうね。きっと。