☓2結婚カウンセラーの思考録

2度の結婚・離婚、子育てを経たからこそ見えてきたさまざまな物事を綴ります

無関心でいることのおそろしさ


沖縄慰霊の日に寄せて 

ニュースで映し出されていた
戦争を体験された高齢の方々。

平和の礎に手を合わせて
そっと涙を拭う姿から、
どれほどの想いを抱えて
これまでの人生を暮らして来られたのか…

「もう二度と、
絶対に、戦争なんて起こしてほしくない」

「長い年月が経ちましたが、
悲しみは変わりません」

との、
強い想いの込もった、厳しい眼差し…


ある特集では、
女性が9歳のときに
赤ん坊だった弟をおぶって避難したところ、

日頃はとても優しく親切な近所の人達から
「赤ん坊の泣き声のせいで米兵に見つかるから
ここから出て行け!」と言われ、

誰ひとりとして助け舟を出さなかった…
自らの保身のために
幼い少女と赤ん坊を
危険な外へ追い出すという…

「人間が、人間でなくなるのが、戦。」


その後栄養失調で
弟さんは亡くなったそうですが、
「赤ちゃんの泣き声がずっと頭から離れません」
と涙ぐんでおられました。


この方は、長年口をつぐんできた事を悔いておられ、
「出来るだけたくさんの人に戦争の恐ろしさを知ってもらいたい」と、
近年は積極的に学校などで体験談を講演されているそうです。


女子大生と思しき若い女性のインタビューでは、
「伝えていくことが大事。
自分に子供が生まれたら
しっかり伝えて絶やさないようにします」

などの頼もしいコメントもあり、、

関連で、
私は過去の身近な人の発言を思い返しました。

 


私は京都府で生まれ育ち、
小学校に入学しました。
私が通っていた小学校では
一ヶ月以上ある長い夏休みの間に
登校日が設けられていて、
その登校日には、
はだしのゲン』などの
戦争に関するアニメ映画を
体育館で全校児童で鑑賞するのが恒例でした。
いわゆる “平和教育” が根付いていたのです。

4年生の春に家庭の事情で札幌市に転校してからは、特に平和教育のようなものはありませんでしたが、
私は個人的にずっと関心を持ち続けていたため、
自由研究で祖父母に戦争体験を聞いたり、
陸軍登戸研究所について調べたりもしました。


そのエピソードをある時に話したところ、

「そういう事(戦争の話題)を言う人は
変な人と思われるから
他人に言わない方が良いよ」

という趣旨のことを言われ、
とても釈然としなかった思い出。。。

 

その相手も関西で生まれ育っていますが、
私の小学校のような平和教育があったかは、
定かではないのですが、、

地域によって教育方針もさまざまで
沖縄、長崎、広島がある西日本のほうが
平和教育に重きを置く傾向があり
育った地域による価値観の違いがあるのかな、、と、長年思っていたのですが。

よく考えると、
同じ家で育った私の妹も
そういえば、そういった考え方かな、と、。
妹は京都にいた時は幼なかったので
平和教育の記憶も無いという事もありますが…

育った環境が同じでも、、。
学校の授業や講演、テレビなど
日常のあらゆる場面で
同じ人の、同じ話を、聞いていても。。

人それぞれ、
感じかたは千差万別であるということに
改めて、
妙に納得しました。


戦争は怖い、暗い、などと、
単純にその物事が好きか嫌いかという
価値観の違いとも思えますが…


特集では、
大田光さんという大阪府出身の若い女性が、
沖縄に住み込んで戦争について調査し、
観光ガイドとして知らせていくという活動をされていることが紹介されていましたが、

「以前の私のように
無関心でいる人達の認識を変えたい」

というようなことを仰っておられました。

 


個人が生まれ持った性格や
育った環境、
周りの人間関係などによって、
本当に、 10人10色、100人100色… と、
それぞれが皆、
さまざまに違っていること自体は
自然なことですし、
そうでなければ
世の中が成り立ってはいない

とも思います。

が、。

バックナンバーの
銃社会の記事などとも重なりますが、

本当は大事なことと、
薄々、分かってはいながら、
あえて見ないフリ、
面倒な事には関わりたくない、
明るい、楽しいことだけして生きたい……


大勢の人が、そうしていく、
その、先の未来は、、
どうなっていくでしょう???

 

明るく楽しい、

輝く未来は、ありますか?

 

戦後70年を越え、
戦争を体験された方々がどんどん少なくなっています。
そんなご高齢の方々が、
口々に仰っておられました。

「今の日本の状況は
知らぬ間に軍国主義に駆り立てられていった、

戦前にとても似ていて
危うさを感じている。
だから、

伝えていかなければ。。」  

 

 

 

子は、親をうつす、鏡。

いじめによる自殺のニュースがまたありました。
過去に記したものですが以下シェアします。

 

 

〈 2016.12.14 記 〉
今朝のニュースで、また新たな、
福島から避難して来られているご家族のお子さまへの、
悪質な嫌がらせが報じられていました。

他人の弱みにつけ込んで恐喝などをするような、
そんな、荒んだ心を持つ子ども…
大人も。。

その人達を、
そんなふうに駆り立てた、
そんな人間に成長してしまった背景こそが、

もっと、
真剣に論じられるべきではないかと、
私は思います。

 
思い遣りの心が備わっていれば、

あれだけの大変な災害に遭われて、
身近な方が亡くなられたり、
思い出の地が無くなってしまったり、
それだけでも
計り知れない心労のなか、

原発事故のために
故郷を離れざるをえなくて
大変な思いをして避難して来られている、

慣れない土地で
多くの不安を抱えながら
それでも健気に、懸命に暮らしておられる…

そんな方々に。
とてもとても、出来っこない!!
出来ないと言うより、

そんな発想が、有ることすら、
信じ難いのですが。。

現実は、耳を疑う、目を覆いたくなる
ドウシテナノ???
と頭を抱えてしまうことがいっぱいですね。

学校や教師の対応が論じられていますが、

もちろん教師が加担するなど言語道断、
弁解の余地もなく
即刻、辞職すべきですし、

そんな時こそ、
教師の本領発揮の場であり、
事情がよく分かっていない児童生徒の為に
経緯を教えた上で、
人としての思い遣りのココロを育む、
絶好の機会と捉えて取り組むべき…

と、私は思うのですが、

そういった考え方ができる教師が
果たしてどのくらいの割合なのか、
出来れば調査した方が良いのでは?
教員採用試験に、
その手の適性検査があっても良いのでは…
とも、思います。

そういった
根本的なところから
テコ入れをして行かなければ、
いつまでたっても、
ひとつも解決に至らないと思います。

教育機関については
そんな課題が山積していますが。

特に子どもの、そうしたトラブルは、
むしろ
それぞれの家庭での

親の在り方が、
大きく影響すると思います。

親自身が、
どんな価値観を持って生きているか。。

改めて子どもと話し合うということをしなくても、
子どもは自然と
親の想いを感じ取っているものです。

日々暮らしを共にしていれば、
様々な場面で親の発言に接し、

子どもにとっては
何をおいても1番に信頼している
親の考え方に、
無意識に共感して
それが積み重なって
人格形成されていくのではないかと思います。

私の身近でもおりましたが、
自分のことは棚に上げて
子どもにばかり
理想やキレイごとを押し付けて教育しようとしても、
そんな表面的な、偽善的なものは
結局は
何の説得力も無いし、

子どもは、たとえ幼くても、
シッカリと、見抜いています。

私も、自分で耳が痛いですが、、
「どうしてこの子は…」
とボヤいても、
根本は、親自身が、そう育てたのです。

子は親の鏡!
ですね。

やわらかい心をもちましょう。

ある朝のバスの中で。

バスに乗った瞬間、私は
広い二人分の優先席にゆったりと座る母娘に釘付けになりました。
幼稚園の制服を着た女の子は
ゴキゲンで楽しそうに

お母さんと話したりしていました。

その目の前には、
おそらく80才前後と思しき
小柄で か細い、高齢の女性が
立っていらっしゃいました。

私はその母娘に声をかけるべきか、
それとも他にお婆さまが座れる席はないかと見回しましたが、あいにく満席でした。
少しして母娘が降りると、
すぐにお婆さまはその席に座られたので
私は安堵しました。


大人1人分の広い優先席に
小さな子どもを座らせて
更に母親自身もその隣に座り、
目の前に高齢者が立っているのに気が付かないのか、気付いていても譲る気がないのか…

しきりに
「足を閉じて座る!」
「手袋は外に出てから」などのマナーを教えていた、
自分の世界しか…周りが見えていない母親…

“お行儀よく” 育てようと一生懸命な気持ちは伝わってきましたが、、

肝心なトコロが… 抜けていませんか?
何か、ズレていることに気が付きませんか?
と心で思いつつ、
よほど声をかけようかとも思いましたが、
先日のある一件が思い返されたこともあり、
結局、
傍観するだけに留まってしまいました。

 

その一件とは、
夕方の東海道線の電車内の出来事。
大きな荷物を持った旅行者や

通勤通学客でギュウギュウの車内で、
「優先席に子どもを座らせるんじゃないよ!

抱っこして座るか立たせなさい!
子どもは半額しか払ってないんだから」
という
初老?の女性の荒い声がきこえてきました。
若い母親らしい声が
「ナニ自分が座りたいからって!」
と言うと
「当たり前でしょう高齢者なんだから!
優先席のマナーを知らないの!?」
などと押し問答の末、
席を譲られて女性は座ったようでしたが、
それからも
「まったく!

マナーも何もわからないんだから!

知らないから教えてあげてるの」
などと小言を続ける女性に、
私の前に立っていた若い男性が
「座れたんだから黙れやババア!」と言うと
「ウルサイよ!
マナーが悪いのを誰かが叱らないと

わからないでしょう!」
と…、女性はおさまらないようでした。


このことを考えると、
見ず知らずの人に声をかけることで
思いがけないトラブルに発展するかも知れない…
というような懸念が生まれました。


…かと思えば、おなじ電車でのエピソードで
だいぶ前のことですが、
電車内で私がスマホで映画を視聴していた時、
イヤホンジャックにキチンと刺さっていなかったようで音漏れ…というより
音がそのまま周りに聞こえていたことに
全く気付かずにいて、
それを同年代くらいの男性が教えて下さって

とても恥ずかしい思いをしつつも
おかげさまで直すことができたことがありました。
降り際にその男性に再度お礼を言ったところ

「えっ、ああ…」と

あまり気にしていない様子でしたので、
その方にとってはごく普通の、
日頃から当たり前にしていることだったのかも…知れませんが、


私にとっては、
見ず知らずの方が
きっと本当は、とても言いにくいし
見てみぬふりも出来たところ
わざわざ教えてくださったことが、
とても有り難く嬉しかったですし、
“イイ人だったなぁ” と
今でも印象に残っています。

 

 

私が子どもの頃、
NHK教育テレビ『できるかな』
という工作の番組に出演されていた
ノッポさん” こと高木のっぽさんが以前、
こんなことをおっしゃっていました。


『 私は “子ども” ではなく

 “小さな人” とよんでいます。
子どもは小さくても自分をしっかり持った
大人と同等の人。


母親の
「あんたみたいな不器用な子見たことない」
の一言で工作への絶望…コンプレックスだった。

父親
「あなたは強い人なんだ。
だから電車では座らずにしっかり立てるんだ」
の一言で そうだ、自分は強い人なんだ!と誇らしかった。
以来、

お年寄りを差し置いて座ることはしていない。八十歳を超えた今でも…


親の何気ない一言が
子どもにとっては深く印象に刻まれる。

 

今の子どもは
我先に!と座る席を探す。
 →親の教育がいけないから。

 

さいごに…
人は一人では生きられない。
人に優しく、みんなと仲良く生きましょう 』

 

 

大勢の、それぞれが違う環境で育ち
さまざまな生活をしている人たちの
それぞれの

さまざまな価値観が入り組んでいる世の中で、
どうするのが正解か?? とは、 
本っ当にむずかしくて
何とも、言えないところがありますが…、

 

夫婦間でも家族間でも、
対人関係全般に通じるのは
相手の立場に立ってみる “思い遣り” 
押しつけではない自然な “優しさ” が、
不可欠なものと、
私はあらためて感じました。

 

金子みすゞさんの
“ みんな違って みんな良い ”

相田みつをさんの
“ セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
どっちかやわらかければ大丈夫
やわらかいこころを持ちましょう ”

 

この2つの言葉がおもい浮かびました。

 

“思い込み” にとらわれていると…

住んでいたアパートが取り壊されることになったため、
この度やむなく引越しをしました。

娘の進学も控えていますので
なるべく家賃を抑えようと探していたら、
これまで10年ほど暮らした川崎市より
隣の横浜市の方が手頃な家賃で、
気に入ったところも見つかったので
横浜市に転出したのですが、

それを決めるにあたり、
だいぶ前に人から聞いていた
横浜市より川崎市の方が

児童手当などが充実している」
との情報がひっかかって
躊躇する気持ちがあったのですが、

いざフタをあけてみると、
むしろこちらの方が
いろいろと手厚いことがわかりました。

約8年ほど前に、
たった一人の人から聞いた情報を鵜呑みにして、
改めて調べてみようともしませんでしたし、
長年、間違った情報を
その通りに思い込んでいたことに、
この度の引越しで気が付きました。

もしかしたら私も、
どこかで、そう人に話したかも知れません。。


こうした、

何気ない会話の中の
一人の発言がずーっと記憶に残って
事実誤認をしてしまっていることって、
意外と多いのかも。。

と思いました。
(数年の間に変わっていて、
以前はそうだったのかも…知れませんが)

 

 

TEDという番組で、
銃によって弟の人生、さらに家族の人生が

変わってしまったという男性による、
アメリカの銃社会についての講演がありました。

 

アメリカ人の大半は、
家族を守る、保身のためという、
“ごく一般的な”  価値観によって、
疑問を持つこともなく
銃を所持していると言いますが、

その一方で、
銃による事件や事故で命を落とす子どもなどが
後を絶たないとのことでした。


これは、
アメリカの上層部と銃関連会社の
利益のためだけに、
都合よく理屈をつけて
“意図的に” 国民に植え付けられた、
言わば
洗脳された価値観によるものだ。
との警鐘を鳴らしていました。


そもそも銃が無ければ、
落とさずに済んだ、多くの尊い命…
その現実を知ってもなお、
「でも皆持ってるし」
「持たないと不安…」などと

銃関連企業など上層の人々の
“思うツボ” に陥っている現状。。


もう10年以上前に、
アメリカに留学経験のある友人に、
「アメリカって、銃社会でしょ。恐くない?」
と聞くと、
「保身のためだけだから。
みんな持ってるけど

危ないことなんてないし、

全然、恐くないよ〜」との返答でしたが…
当のアメリカ国民も、
同じ感覚なんだろうな…

と思いました。

もはや、
銃社会であることに対して

異を唱えるほうがオカシイ、

という感覚…?


私としては、
恐ろしい凶器である銃が身近に、

フツウに在るということに
そこまで、
無頓着な感覚のほうが、
異常なように思いますし、
そこに、更なる恐ろしさを感じます。


実際、たまにニュースで、
学校での銃乱射事件や、
無邪気な幼い子どもが遊んでいて
誤って人を撃ってしまった
なども耳にします。
 

被害者は勿論のこと、
加害者側だって、
その一件のために
重い十字架を背負って
その後の人生を過ごすのです。

 

こんな事件は、
銃そのものが無ければ起こり得ないことです。
いざ我が身に悲劇がふりかかってから
気が付いても、遅いのです。


泣いてもわめいても、
失くなってしまった命は還りません。

 


そういった
先の先まで、見通せる想像力が、、
一方的な情報に流されない賢さが。。


生きていく上では
とても、大切な事と、思います。


短絡的に、
目先のメリットだけにとらわれて
マイナス面については、
見えていても無視、気付かないフリ…
それを続けた先は、、。


どうなっているでしょう??

 


そんな、
実は、…要注意! な、無責任な情報が、
この世のあらゆる所に存在しています。
常に、

賢い視点をもっていたいものです。

 


「結婚したい」と言っていても
うわべの良い面だけを期待して
夢見がちな人…

ご自身についても
いい面、プラスのイメージだけを活用して
マイナス面は見せないように…
というような頑張り方をしても、、
そのうち、
疲れてしまいますよね。

それで恋人ができたとしても、
どこかで無理が生じて

辛くなりますし、
結局は無駄な努力になることが
多くなる…気がします。

 


「こうしないと!」

「こうじゃないと!」
良い人とは、出逢えない…
などという、
ありきたりな “思い込み” …

 

他のさまざまなところでも、
いつもと視点を変えてみる、
長年の思い込みによって
頑なに決め付けてしまっていることを、

一度、

ザックリ取り払ってみて、

「らしく」を大切に
価値観や考え方を見直してみると、

 

もっともっとラクに、
自分らしくいられますし、

そうして気張らずに 自然体でいたほうが
気の合う人との出逢いも、
ずっと 近くなるのでは、ないでしょうか。


結婚とは、
その後の生涯の長い年月を共にする、
日常の生活そのものですので、

ご自身の仲の良い家族との関係のように

 

気負わず、居心地が良く、

お互いが、居られることが

何よりなのでは…

と、私は思っております。

 

 

 

 

麗しのマリー・アントワネット

六本木ヒルズ森美術館で開催中の
マリー・アントワネット展に
行ってまいりました。

10年ほど前にパリ郊外の
ヴェルサイユ宮殿を訪れたことがあり、
プチ・トリアノン宮殿や
王妃の寝室を見て、
懐かしい情景が思い起こされました。

当時5歳の娘を連れていたので、
途中で飽きてしまって
なかなか思うように
ゆっくり見られなかったこともあり、
また行きたくなりました。

たしか高校の読書感想文で、
『悲劇の王妃』というマリー・アントワネットについての小説を読み、
賞をいただいたという
私の中ではちょっとした良い記憶もあり…
以来、
ロココ調文化や建築物、衣装の華やかさが
とても好きですし、
それとは対比する
マリーの境遇などについて、
興味をもってきました。


この度も、
はじめは
あどけなく愛らしい、
華やかな王妃の生活ぶり、
豪華絢爛な調度品、
日本の陶磁器などの食器、
タペストリー、絨毯などに
微笑ましく、目が潤され癒されましたが、

順路を進むにつれて、
王妃を取巻く人々の
嫉妬や憎悪からなる出来事から、
だんだん
窮地に追い込まれていく一家の様子に、
鑑賞されている皆さんも
表情がこわばって
緊縮した面持ちになっていました。


貧困でパンも買えない人々に対して
「パンがなければ、
お菓子を食べれば良いじゃない」と
マリーが言ったという、有名なエピソードは、
実際は、
言っていない。。とか、

有名な首飾り事件も、真相は
詐欺師と、
強欲に駆られた貴婦人が
マリーの知らないところで
勝手にマリーの名を語っていた事件なので、
むしろマリーは被害者であった…など、、


真実が見えなかった民衆が
マリーが贅沢三昧で
私腹を肥やすことばかりしている、と、
当時の風刺画などからも刺激されて、、。
その末の、結末。


何の悪気もなく、純粋な、
良妻賢母でもあるマリーなのに…
「民衆の幸せのために尽くすのが王族の務め」

とも考えていた、心優しい王妃なのに……


きっと、、始めは。
誰かひとりの、何気ないひと言から、
どんどん尾ひれがついて
悪い噂話ばかりが大きくなり、
事実とは
かけ離れたエピソードだけが
ひとり歩きした結果、

それを鵜呑みにした民衆が怒って、
あれよあれよと
悲劇に繋がったものかと、
考えられます。


死刑に処した陪審員も、民衆も。。
「誰も責めることはしない、
私は何も恥ずべきことはない…」と、
敬愛する、先立った夫と同じように、

自らの犠牲の代わりに、

後の世の中が

良いものになっていくことを願いながら…


処刑を静かに受け入れ、
最期の瞬間まで、
毅然としていた

と、いいます。

 

貧困にあえぐ民衆から見ると、
宮殿の生活は贅沢ですし、
そこに反感をもつのは
仕方がないかも知れませんが…

でも、

だからと言って
マリー一家を糾弾して
処刑に追い込んでも
解決するわけではないですし、

むしろ、
きちんと向き合って訴えたり
話し合いが出来ていれば、
それなりに

救済措置をとることができたであろう、
人柄も温かい、

マリー夫妻だったのに…


真実を見誤ることが、
本当に、

コワイことだと感じましたし、
さらに、
嫉妬や憎悪といった感情を増幅させても、

『百害あって、一理なし!』
一理どころか、
一時的に快楽?を得られたとしても。


結果的に、
いずれは、巡りめぐって
自らの首を、絞めることに

つながることになる…

気がします。

 

“因果応報” “情けは人のためならず”…?

とにかく、
人を妬んだり羨んだりするということは、

本っっ当に、
愚かなこと。。
と、思います。

 

あらゆる格差が生まれることは
この世の常ですし、

仕方がない事とはいえ、、

それでもやはり

理不尽などを感じたなら、


短絡的に
気に入らない人を蔑んだり、

陥れよう…
などと目論むより。。

 

どうしたら、

解決するか、
より良くして行けるか、
現実的に、その物事を
前向きに、改善する!

という希望をもって
皆で

話し合うなど、する方が

よほど、

得策なのでは??

 

 

現在は
マリーの時代からは考えられないほど
情報技術が進み、
あらゆる情報が簡単に手に入れられますが、
玉石混交の、
情報過多なほどの世の中で、
そんな世、

だからこそ、。!


それぞれ、一人ひとりが、
道を見誤らないために、

 

まずは、
自分自身を律する…、
己の良心に従って精査する、

 

なにが、

本当に、大切なことなのか、
真実を見抜く目を養う…

 

マリー・アントワネットの一例のように、
過去の経験、歴史から学ぶ。。


そんなことが。
とても、

重要なのではないかと。
私は思っています。

 

 

たまたま視聴した
『知恵泉』という番組での、
五代友厚氏 の言葉で、

 

「潰しあうより支え合え」
「商売敵と力を合わせよ」
「会社が栄えるか、滅びるかは、
経営者が義務を果たすことは勿論、
お互い親密にし、友情をもって
助け合わなければならない」

 

との、“相互扶助” の精神がありました。

 

 

かの大国の、次期大統領にも、
届けたい言葉です。

 

 

 

どんな君でも愛している by ゆず


母と話をしていて、
「アナタは人の気持ちがわからない」
と言われ、
同じことを母に対して、
いつも私は思っているので
反発心がありました。

 

けれど
冷静に考えてみると、
母にとっては私の言動が、
私にとっては母の言動が

お互いにチガウ価値観?性格?によって
その基準で考えているから、
いくら、解ってもらおうと
これまでの長年の時間をかけて
話し合いをしても、

どこまでも、平行線をたどるのみで
結局はムダなんだ。。
と、この度は
なんだか妙に、腑に落ちました。

友人や妹が言うことに
今ごろやっと
納得できた気もしました。

 

 

あるメールマガジンで、
私と似た境遇の、
過干渉・押しつけが強い母親に、
「自分のことを理解してくれている彼との結婚を認めてもらえない…」
との相談に、
たくさんの共感、
似た境遇の女性からの
反響が多数あったことも紹介されていて、
私自身もその一人ですし、
改めて、
同じ悩みを抱えて苦しみ、
そのような母親の影響を受けた結果、
ご自身の不幸に繋がっている人が
多くいることを認識できました。


学歴が彼のほうが低いから、
という理由で反対されているそうですが、、

 

私の母もよく言いますが
母親としては、
「あなたの為を思って」とは、
たぶん本音ですし、本気なのです。
けれど、、
その価値観が同じなら、きっと問題ないのですが、
多くは別個の人間なので違っています。

そして私が主張する、
「本当に私のことを想うなら私を尊重して」
のような言葉には耳をかしません。

そんな言動を見る限り、
どこにも
私に対する共感や尊重する意思は伺えませんし、
母親自身の、
世間体や自己満足のために
正当化しているとしか思えません。
実際、
「アンタは私の顔に泥を塗るのかい」
などの発言もわりと多いですし。


そもそも
結婚して長い人生を共にするのはご自身であって

母親ではないですし、
“娘のことを理解してくれている人”
という、
何より娘にとって

好条件と思える方との良縁を反対するとは…

やはり、母親自身の、勝手な都合優先
の考え方かと、思われます。

 

みんな、“自分自身” が、
幸せになるために
生まれてきて、
それぞれの、1度きりの
人生を
生きていく。。


この言葉に、尽きると思います。

 

また私のことをお話すると、
そんな、
支配する母の元で育った私は、
自分が価値のある人間だと思えないので
自己肯定ができず、

気がつけばいつも、
母と同じように
私を従わせようとする人や、
私を下に見て
偉そうにするような人とばかり付き合っていました。
私が何か主張すると頭からバカにするような。
過去の友人も、元夫も。

 

そんな関係は不健全ですし

そもそも
そんな人自体に問題がある、
ということを、
今では判断できますし、
娘にも折にふれて話していますが、

 

そのことに気が付けたのは、
2度離婚し、
母と出来るだけ距離をおくようにして
しばらく経った、
最近のことです。

 


市の子育てサポートをしていた時に
学んだ内容で、

 

子どもは誰よりも
母親を信頼し、その愛情を必要とする…
など、
いかに幼少期からの母親との関わり、
共感、スキンシップや

コミュニケーションが重要か…
ということがありますが、

 

その、
子どもにとっては
たった一人の、かけがえない母親が
理解がなく分かり合えない、
共感してもらえない、
または
もともとの性格が合わないことから、 
ずっと、間違った育ち方をしてしまった人が、
私のようになるんですね。


どんな母親でも、(その母しかいないので)
子どもは素直に肯定し、受け入れます。
その母子関係が
人間関係づくりの土台になるので、

母親と似た人との、似た関係の中を、
違和感なく、むしろ楽しく?
居心地が良いと感じてしまい、
受け入れて共にし、
それがフツウ、というようになります。

結果、
本人がその異常さに気付けないまま成長して、
“不健全な” 人間関係しか、

築けなくなります。

 

ポイントは、“共感” です。

友人にしろ恋人にしろ、
自分の価値観や性格を、
まるごと受け止め、

すべてを肯定、
共感してくれる人
が、

人にはそれぞれ必要です。

理想を言えば、
母親がそういう存在であるのが最高なのですが、
そうではない場合が多いようですね。

たとえ親であっても、
それに見合わない人であれば、
拒絶しないと、
自分がまいってしまいます。


自らのシアワセのために、
居心地の良さを求めて、
時には
悪しき関係を振り切ることも、

大切です。


バックナンバーでも記しましたが、
あなたのことを、
またはあなたの家族や周りの人々のことを、

どれくらい尊重してくれるか。
良いところも、悪いところも。
全部、ひっくるめて、

あなたらしさ。。

などと
認めているか。

どちらかが先立つまでの、
先の長い人生を共にする

結婚相手なら、尚更。
慎重に吟味するべきと思います。

 

その上で、
お互いが
お互いのことを、「幸せにする!」
と、
挙式などで、心から、
誓うことができれば最高ですね♪

 

とは言え…
理想と現実は、
なかなか噛み合わないものですが…(・・;

 

 

前述のメルマガの女性は、
「母とドンパチ、全面対決することにしました!」

とのことで、
あ~良かった!と、

とても嬉しく思いました。
彼女の未来が

シアワセに包まれることを

願って止みません。

 


数クール前のNHK朝ドラ『ごちそうさん
の主題歌の、“雨のち晴レルヤ” の詞

 どんな君でも愛している
 顔をあげてごらん
 光が照らす…
 
 泪も河も海へとかえる
 君と待っていたい
 昇る朝日を

 なにがあっても側にいるよ…


こんな、
温かな眼差しで

お互いにお互いが

見守ってもらえるお相手と、


たくさんの人が出会って、

皆がたくさん幸せになれたら
とっても素敵ですよね!

 

 

年の瀬ですね。
皆様におかれましては、
どうぞ、良いお年をお迎えくださいますよう、

お祈りいたします。

 

 

 

 

〈1月13日 追記〉

本日22時〜の新ドラマ

NHKドラマ10

「お母さん、娘をやめていいですか?」

この予告編をみて、

まさにこの世界だと思いました。

 

また、関連の書籍もありますので、

参考にひとつ、添付します。

<推薦書籍>

「逃げたい娘、諦めない母」信田さよ子

→ http://cs-x.net/sakuya/c/06271.html

 

 

シンプル、が、意外に難しい。。

今朝のあさイチで、
“家に帰りたくない夫”
について特集していました。

仕事でさんざんストレスにさらされて
疲れて家に帰れば
不機嫌な妻から、
いつもうるさく
アレコレ文句を言われたり
愚痴を聞かされたら、
それは帰りたくなくなる気持ち、
よくわかります。

私は個人的に、
男性はやはり根が優しくて、
そのせいもあってそこに甘んじて
女性は気が強かったり、
自己主張を押し通そうとする傾向があるのかな、と感じました。

お互いに
仕事や育児で大変だし疲れるのは同じ。
そこで双方が自分の都合ばかり主張していたら、いずれ決裂してしまいます。

要は思い遣りですよね。

いかに相手の立場にたって、
物事を考えられるか。

お互いが、
「今日もお疲れ様でした。
お陰さまで幸せです。いつもアリガトウ!」
という気持ちで居られたら。

お互いがお互いの、
癒やしとなる存在であることが、
1番大切な夫婦の在り方だと、

私のこれまでの経験や
見聞きしてきたご家族から、
切に、思うところです。

私が結婚カウンセラーとして
とくに主張したいことは、

“良い結婚とは、歩み寄り、理解し、
ありのままの自分でいられる場所を、
「相手に」与えること!”

です。
相手に求めるばかりでは上手くはいかないと、思うのです。

 

先日視聴したTEDという番組で、
数学者のハンナ・フライ氏が
あらゆる数学者の長年の研究によって証明された
“愛の方程式”について講演していました。

その中で、
“離婚回避法”の話があり、

多くの人が、
上手く行っている夫婦はお互いに
重要なことだけを話し合い、
些細なことには目をつぶるのだろう、
と思っているが、

実は、正反対に。
上手く行っている夫婦は、
どんなことにも気付かないふりはしないし、お互いに不平不満を言い合うけれど、
常に関係を修復しようと努力し、
結婚に対してポジティブな見方をしている。

些細なことに目をつぶり、
それを放置したら、それはやがて
大きな問題になりかねないから。

“怒りを溜めこむべきではない”と、
数学的に証明された
とのことでした。


よく、
“結婚は人生の墓場” とかききますが、
確かに、
根本からそんなネガティブな捉え方をしていては、
そもそも幸せな結婚生活なんてできる訳がないですね。
双方がポジティブに捉えて物事にあたる夫婦は円満…。

考えてみれば、ごく、当然。で、
とてもシンプルなのですが、
意外と私たちは気が付けないものですよね。


限りある人生の、限りある出会いの中で
奇跡的にご縁が結ばれたお相手と、、

 

せっかくなら、ポジティブに、
お互いがお互いを シアワセにする!
という気持ちで、末永く暮らせたら
とっても HAPPY ですよね。